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“日本病”
がんばれニッポン!他の国も昔は病気だった
 

先進諸国がかかった病気

「今や“日本病”だ」

小泉純一郎首相は、去る1月22日、来日中のパッテン欧州委員会委員との会談の際に、こう語った。日本経済の低迷について言及したものであるが、じっさい“日本の病”はそれだけなのか。治安・モラルの悪化、教育水準・技術水準の低下、食品偽表示等に見られる企業倫理の低下、行財政の不行き等々、首相は、もっとこの“病い”の全体像を診断しなければならないのではないか。あるいは「ひとさまにさらすのは恥ずかしい」から経済のことだけを述べたのか。とはいえ、この“日本病”は、それほど恥ずることでもない。このネーミングにしてからが、かつての英国病を意識したものであるし、次項以下に示す通り、日本以外の先進国はみんな「病の経験」がある。

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英国病 ('76)

『現代用語の基礎知識』1976年版 (75年刊) 収録。以下、

「“揺り篭から墓場まで”と謳われた福祉国家のぬるま湯にドップリつかって働かないイギリス労働者を指したことば。もともと西ドイツのジャーナリズムが1960年代のはじめに英国の労働者のような「怠けぐせや非能率」の代名詞として使った。事実イギリスは、物価上昇が年25%、失業者125万人、ポンド相場は71年のスミソニアン通貨調整基準に対して29.2%の実質切り下げなど“英国病”の症状は、回復不可能に近い重症になっている。とりわけ悪症状は、昔ながらの慣行や既得権のうえにあぐらをかいている労働組合に著しいといわれている。英国政府は“英国病”の根絶に立ち向かおうとしていると報じられているが、症状回復には、英国社会の構造の深部までメスをいれなくてはならないとされている。福祉国家の在り方に、深刻な反省をなげかけた“悲劇”的病状である」

〜かなり「絶望視」で描かれているが、今日英国がおかれている情況をみるにつけ、必ずしも「絶望ではなかった」ことが証明されている。

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英国病 ('86)

『現代用語の基礎知識』1986年版の解説をみても「まだ“英国病”が治っていない」ことがわかる。しかし時が経つにつれ、その分析も深くなり、今後の日本の方向性を探るうえで役立ちそうな視点もでてくる。以下、

「…石油危機以降も、物価上昇、失業者の増大、ポンドの下落はやまず、英国病はいちだんと悪化している。とりわけ悪症状は、昔ながらの慣行や既得権のうえにあぐらをかいている労働組合に著しいといわれているといわれているが、このほかに積極的経営態度を失った経営者、硬直的な階級構造にも問題があるとされている。…ただ英国病には、生活上のバランス感覚、秩序感覚、社会的アメニティ (快適さ) の尊重など、良い部分もあるとの指摘もなされている。」

〜ちなみに同項目の本誌掲載は87年まで。

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フランス病

本誌1982年版収録。以下、

フランスのドゴール派議員アラン・ペールフィットが、1976年暮れに『フランス病』と題する著書を発刊 (邦訳は、根本・天野訳『フランス病』実業之日本社、1978年) 、たちまちベストセラーになった。同氏はこのなかでフランス病の最大の病根は堅固な行政機構にあり、ENA (国立行政学院) 出身者である少数エリート群が国家権力を握り、国政運営の機動性、柔軟性を失わせていると指摘している。またフランス人は理屈っぽく、現実を直視するのが苦手だといい、「思考の空に住むことが好きで、地上に降りようとしない」と述べている。さらに、個人主義のフランス人は他人を信用せず「アングロサクソンの国のように“信頼に基礎を置く社会”でなく、他人への不信のうえに成り立つ社会だ」といっている。このほかカトリックに対する批判などもあり、フランス人によるフランスの内部告発書として「左翼的という言葉がもつ真の意味での最も左翼的な本」という評まででている。

〜物事には善し悪しの両面があるわけだが、ここで書かれている「フランス病の最大の病根」のいくつかは、わが国が「日本的甘え体質から逃れるために身につけようとした美点」そのものではないか。

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西ドイツ病

本誌1982年版収録。以下、

「1980年代に入るころから、西ドイツ経済のかげりがだんだんひどくなっている。国際収支の赤字が続き、失業とインフレの同時存在であるスタグフレーションが濃化し、マルクの下落がやまない、といった状態になっている。循環的な一時変調との見方もあるが、エレクトロニクスなどこれから伸びる高度技術産業の競争力が弱いこと、福祉の充実などから国民の勤労意欲が低下していること、ソ連・東欧圏と接していることの政治的不安定や、高賃金のため、企業が国内投資より対外投資に傾いていること、などから構造的に西ドイツ経済は転換期にきているとの観測が強くなっている。」

〜第2次大戦による国土荒廃から経済大国へ、というコースを歩んだ歴史ではわが国と共通するドイツであるが、“発病”は日本よりかなり早かった。

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イタリア病

本誌1982年版収録。以下、

「イタリアは石油危機以来、経済情勢が悪化し、そのなかで共産党の台頭など政治的な体制危機も深まっている。イタリアをここまで追い詰めたものとして、キリスト教民主党など保守政党の腐敗、膨大な官僚機構の非能率と汚職、労働者のアブセンティズム (無断欠勤主義) などがあげられており、英国病になぞらえて、こうした症状が「イタリア病」と呼ばれている。」

〜という表現は、日本経済好調なりし時の (偏見ともいうべき) 典型的な対イタリア経済観であるが、「80年代の停滞期にあっても、“公務員が副業で観光タクシー運転手をやっていた”ようなものまで含む地下経済によって、イタリア社会は統計数字以上に活性であった」ことは、かの国に対しての今日的認識である。

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アメリカ病

「おそらく英国病をまねてつくられた新造語。最近のアメリカでは、スタグフレーション (景気後退と物価高の同時進行) の傾向が強い。その背景には労働生産性の停滞がある。賃金は上昇しても、生産性は上昇しないため、企業は製品値上げに走ることになり、賃金と物価の悪循環が始まる。国際競争力が低下し、それを保護貿易で補おうとする主張も強まる。労働生産性停滞の主な原因として、イギリスの場合は、既得権に固執する労働組合が批判されることが多いが、アメリカの場合は、平等化の進行による未熟練労働者の質の低下があげられよう。その意味では、平等化の進行、とくに少数派の急速な台頭が、米国病の最大の原因といってよい。」

〜「平等化の進行による未熟練労働者の質の低下」…アメリカは、この“病”から立ち直るために、たとえば'91年ブッシュ (先代) 大統領が「教育ルネッサンス (→別項) 」のもと、理数教育を主としたカリキュラム強化を行っている。さて、これを現在“日本病”に罹っているわが国に当てはめた場合、学力低下・理数系離れが指摘されるなか、2002年施行の学習指導要領改訂の中身はというと「ゆとり」であるといわれる。結果やいかに。

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教育ルネサンス

本誌1992年版 (91年発行) 収録。以下、

「ブッシュ大統領が2000年に向けて提出した教育改革案のキャッチフレーズ。アメリカの学力低下は著しく、1987年に13カ国の高校3年生を対象とした生物のテストで最下位、15カ国の数学の学力テストでも12位にとどまった。

学力アップ対策として、大統領は数学や理科の学力が世界一になるように、全国共通の学力テストの導入を提唱した。教育改革案は、学校選択についての親の権利を認めるなども強調しているが、アメリカの教育は州による地方分権によって運用されてきただけに、中央集権化の動きを警戒する気運が強く、改革の前途は多難である。」

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すでに語られていた“日本病”

本誌1978年版では、すでに“日本病”が項目として掲載されている。以下、

「イギリス病、イタリア病といった言葉が最近よく使われるが、日本にも日本病というのが生まれはじめたといわれる。これは「グループ1984年」という、文藝春秋に主に執筆している“執筆集団”の書いた「日本の自殺」という論文のなかでそれが具体的に描かれているが、この「日本の自殺」のなかでは、ローマ帝国没落に日本の現在の状況を比較して、戦後の日本が一種の文明的没落過程をたどりはじめたということが描かれている。それによると、「自壊作用のメカニズム」というものが、日本病の中身である。たとえば各人が権利意識ばかり強くなって義務観念を失い、国家の統一を不必要と考えバラバラになってゆくことをあえて推進する人たちと、それに気がつかないで、あるいはバラバラになったほうが自由になると、その結果生まれてくる大きな危険性を感じない人びとの存在、その他、病気の徴候といわれるものがこの日本病の中には多くの点でイギリス病やイタリア病と共通して描かれている。」

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