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連載「平成ヒストリア」その6=平成6年、すったもんだがありました
執筆者 木村傳兵衛

連載「平成ヒストリア」その6=平成6年、すったもんだがありました

イチロー効果

1991年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団した鈴木一朗左翼手が94年公式戦開幕直前、登録名を本名から「イチロー」に変更する。「振り子打法」を武器にしたイチローはそのシーズン、年間200本安打(日本プロ野球初)という偉業を達成。彼の記録づくしの活躍が、セ・リーグに比べ人気の劣るパ・リーグ、そして、Jリーグに押され気味だったプロ野球界全体に活気を取り戻させた。そんな「イチロー効果」という用語はメジャーに移ってからも「イチロー効果でマリナーズオーナーの任天堂が最高値」という具合に使われて行く。

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価格破壊

円高が続きながら、どうして物価は下がらない。そんな庶民の不満に応えて1994年の日本市場にはさまざまな〈価格破壊〉現象が登場した。〈激安〉ということばは、何年も前から東京・秋葉原や新宿の家電製品ショップなどで使われていたし、輸入品を中心にして価格引き下げ競争も強まっていた。その安い輸入品に対抗するために、国内製品もメーカー希望小売り価格での販売をしていられなくなった。「洋服の青山」は93年には2500円のスーツを旗印に東京・銀座に進出。ダイエーも複雑な商品流通システムにメスを入れ、実質的な〈価格破壊〉を始めた。

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向井千秋

94年7月8日、日本初の女性宇宙飛行士向井千秋を乗せたスペースシャトル・コロンビア号は、無事に軌道に到達。42歳の初飛行であった。向井はペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)として、スペースラブ(シャトル中央部にある実験室)で、無重力下でのメダカの産卵生態の観察など、日米から提案された82もの実験を行った。

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「超」整理法

ベストセラー『「超」整理法』。「整理は分類」と考える伝統的な整理法では情報洪水には対処できないと、野口悠紀雄は「時間軸検索」という画期的な方法を提案、パソコンを用いた情報管理なども紹介した。野口悠紀雄は『バブルの経済学』(92年)で吉野作造賞を受賞した経済学者。

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同情するならカネをくれ

ドラマ「家なき子」の中で、12歳のタレント・安達祐実が放った決めゼリフ。建前で生きる世間に対し、少女が放ったこの一言は強烈なインパクトがあり、話題騒然の流行語となった。時代の気分を的確に表現して、この年の流行語大賞を受賞した。

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平成コメ騒動

93年夏の冷害、長雨・風水害などのため、農作物に大きな被害が発生した。中でもコメの作況指数が「著しい不良」。予想収穫量は60年ぶりの低さ、戦後最悪のコメ凶作となった。首都圏を中心に店頭からコメがなくなる〈コメ騒動〉となった。政府は9年ぶりにコメを緊急輸入。米カリフォルニア、オーストラリア、中国、タイ産のコメが食卓に並んだ。

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人にやさしい政治

史上3番目の短命内閣羽田内閣が退陣。宿敵自民党との連立政権の首相に就任したのが社会党委員長の村山富市。首相就任に際して打ち出した政治テーマが「人にやさしい政治」。急場の組閣で内容が詰められなかったためか、具体的にどこが「人にやさしい」のかさえも明確にならないうちに死語になった感がある。

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就職氷河期

就職環境悪化の原因は景気だけではなく、産業構造の問題、リストラの方向性、人件費の高騰等々にある。この状況は「どしゃ降り」程度の一過性ではなく、氷河期であると看破して名づけたのは雑誌「就職ジャーナル」(1992年11月号)。

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シブヤ系

東京の渋谷っぽいサウンドということで当初は音楽のジャンルだったが、サブカルチャー、風俗全体を指すほどに広がる。「○○系」ということばのはじまり。

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ヤンママ

学生時代はツッパリ娘で若くして結婚、子どもは抱えているものの、同世代はまだ夜遊びが楽しくてたまらない。10代の母親、「未婚」の母親、バツイチの母親など、こうした、元ヤンキーでヤングなママ〈ヤンママ〉が注目された。茶パツで派手なファッション。日々の子育てに飽き足らない彼女たちは、同じような環境にある主婦仲間でカラオケや長電話を楽しむ。

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古畑任三郎

94年4月、三谷幸喜脚本による「警部補古畑任三郎」が放送開始。田村正和扮する古畑が、巧みな話術と推理で事件の真相を解明していく。三谷は、自らの劇団東京サンシャインボーイズとして劇作を発表、映画「12人の優しい日本人」、「やっぱり猫が好き」などのテレビドラマを経て、「古畑」で一躍その名を知らしめた。

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大往生

全国の無名の人の生死に関する言葉を集めた永六輔『大往生』が200万部を超えるベストセラーになった。作者の永六輔は、昭和30年代から、ラジオやテレビの企画・演出・出演、作詞、著作など幅広く活躍してきた。その一方で、在野の無名の人たちの言葉を紹介したり、尺貫法を復活させようとしたり、あるいは江戸の文化を再評価しようとしたり、現代社会で埋もれたり忘れ去られようとしている文化を紹介する活動も続けている。

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大江健三郎

日本人としては川端康成に次いで2人目の快挙、大江健三郎が94年ノーベル文学賞を受賞した。大江は67年、自身の代表作となる『万延元年のフットボール』を発表、以後、少年時代に学んだ平和憲法と戦後民主主義こそ日本の進む道であると語り続けると同時に、自己に背負わされた運命から人間の根源へ告白的に迫り、ついにノーベル賞作家となった。はたして真逆の人生を選んだ石原、大江2人の芥川賞作家の指さす方向のどちらに、日本の未来があるのだろうか。

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貴乃花

94年、貴ノ花は1月場所、5月場所、9月場所と優勝を重ね、貴乃花と改名して迎えた11月場所でも全勝優勝(2場所連続)を飾り、22歳で文句なしの横綱昇進を決めた。前年には、兄の若ノ花が大関に昇進して兄弟大関が誕生しており、大相撲は若貴人気で盛り上がった。子供時代から大関貴ノ花の息子として注目を浴び、宮沢りえとの婚約破棄、兄や母との確執では容赦のない批判を浴びた。その中で全力を尽くし、最終的に優勝22回と記録にも記憶にも残る平成の大横綱へ。引退後は、貴乃花部屋で後進の指導にあたる。

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すったもんだがありました

「カンチューハイ」のCMから生まれた流行語。リンゴを擦り込んだチューハイの商品解説に重ねて、CMでは宮沢りえが「すったもんだがありました」。婚約解消ですっかり元気をなくして顔を見せなくなっていた彼女が久々にブラウン管に登場し、話題満載の一年を鮮やかに総括してみせた。

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