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連載「平成ヒストリア」その4=平成4年のグローバル気分◆うれしいようなかなしいような明治25年愛知県生まれの双子姉妹、きんさんぎんさん(成田きん、蟹江ぎん)が国民的アイドルになった。100歳の一卵性双生児であり、その名も縁起のいい「きんとぎん」という要素だけでもタレント価値として充分だが、それに加えて二人のパーソナリティーが絶妙だった。少女のようにおどけたことを口走る「きんさん」と、それに「ナニを言ってるんですか」とさめた顔で鋭い茶化しを入れる「ぎんさん」。CMコピー〈うれしいようなかなしいような〉という名セリフは、「100歳になってCM出演される感想は?」という質問に対する本人たちによる率直な回答だった。 きんさんは、2000年に満107歳で、ぎんさんは、01年、108歳で永眠。楽しい100歳代を過ごしただろう。理想の老後である。 ◆ほめ殺し1987年の自民党総裁選のときの右翼団体が竹下候補に対し、街頭宣伝車で「竹下さんは日本一金もうけがうまい政治家」などとイメージダウンを狙った「ほめ殺し」を繰り返す妨害活動を展開した。これを知らされた東京佐川急便の社長は、暴力団に仲介を依頼し、この活動を止めさせたという。つまり自民党総裁の決定に暴力団が関与していたということ。それが知られて、この「ほめ殺し」ということばが浮上した。 ◆カード破産バブル経済の崩壊が人々の実感となってきた1992年、「カード破産」なることばが現る。旅行だ、ファッションだと、浮かれ踊ったバブル時代の重いつけがカード地獄、残る手段は「自己破産」しかないという人が急増した。 ◆牛歩戦術1992年6月4日に始まった「国連平和維持活動(PKO)協力法案」をめぐる国会の審議で、社会党と共産党は「牛歩戦術」を断続的に繰り出した。採決は長時間におよび、最終的に法案は通過したが、牛歩戦術がテレビや新聞で大々的に報道されたのは初めてのことだった。 ◆国際貢献国際貢献という名目によって、国連平和維持活動協力法が成立し、自衛隊が海外に派遣されることになった。日本で使われるこのことばは、安全保障面でアメリカに協力するという特殊な意味合いが強い。 ◆地球サミット環境と開発に関する国連会議。1992年6月、国連は世界約170カ国代表をリオデジャネイロに招集、「地球サミット」を開催した。森林保全の原則声明を決定したほか、気候変動枠組み条約などの署名を行い、地球再生の第一歩とした。 ◆NGO非政府組織。ノン・ガバメント・オーガニゼーションの略。地球サミットをきっかけに非政府機関、民間自発団体の存在が大きく知られるようになった。市民の海外協力団体。軍縮、人権、開発等さまざまな分野で、各国の国内NGOが、国連諸機関の活動と協調して、あるいは独自に、活動を展開するようになった。 ◆今まで生きてきたなかでいちばん幸せこの年のバルセロナ・オリンピック競泳女子200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した岩崎恭子が、優勝インタビューで語った言葉。6日前に誕生日を迎えたばかりの14歳の新星は五輪新、日本新で優勝。五輪競泳史上最年少、日本の女子平泳ぎでは、56年ぶりの「金」に輝いた。ベルリン・オリンピックで前畑秀子(あの「前畑がんばれ」の)が同種目で獲得して以来であった。 まだ幼さの残る顔で表彰台に立ったこのシンデレラ・スイマーは、ふっくらとしたほおを流れる涙を何度もぬぐった。 ◆コケちゃいました92年のバルセロナオリンピックで谷口浩美選手は、中間点を過ぎたあたりの給水所で、他の選手に踵を踏まれて転倒、シューズが脱げてしまうというアクシデントに見舞われる。後半追い上げたものの、その影響は拭い切れず結果は8位に終わった。 金メダル候補・日本の谷口。ゴール後の「コケちゃいました」という本人のコメントでみごとにファンの緊張を解いてみせた。 ◆冬彦さんTBS系連続テレビドラマ「ずっとあなたが好きだった」に登場する人物の名前。3高の条件は揃えているのだが、マザコンでセックス恐怖症、蝶のコレクターというおたくの夫・冬彦のキャラクターが、時代を象徴する、困ったオトコの代名詞とされた。 この冬彦役を佐野史郎が好演。知的ながらもどこか狂気を宿したキャラクター造型で、シリアスからコミカルまで幅広い演技を披露。この佐野や野際陽子の怪演が話題になり、スタート時は13%であった視聴率を上げていき、最終回では34・1%をとり、「冬彦さん現象」といわれるブームまで作った。 ◆セックスレス女性が社会に進出し、強くなった反面、弱くなったとされるオトコ達。その力関係を反映してなのか、性関係のないカップルが増加したという。奈良林祥著「性を病むニッポン」で取り上げられて以来、その後たびたび雑誌等でこの種のものが特集されている。セックスレスは当然子供の減少につながる。92年の国民生活白書では「少子化」ということばも登場し、その対策に取り組みはじめたが、その後も合計特殊出生率は低り続ける。 ◆月に代わっておしおきよ!1991年から講談社の「なかよし」に連載されていた漫画「美少女戦士セーラームーン」(武内直子原作)が、92年3月からテレビアニメとして放映開始。いわゆる「戦隊シリーズ」の少女マンガ版ではあるが、キャラクターたち(主人公は中学生)の大人びた体つきやカワイイ+セクシーなトークは、テレビ進出により、大人や男性たちにも大人気となった。 麻布十番に住む中学生、月野うさぎは、悪の王国によって、昔月の王国が滅ぼされたこと、そして地球にも危機が迫っていることを知る。うさぎの中の眠っていた能力が覚醒し、セーラームーンに変身。4人の仲間の戦士とともに悪に立ち向かう。ムーンスティックを振りかざし、「月に代わっておしおきよ!」という決めセリフは流行語にもなる。 ◆尾崎豊の死1992年4月25日、足立区の民家の庭で、尾崎豊が泥酔状態で倒れているのが発見され、いったん自宅に戻るが様態が急変し、そのまま27歳の短い人生を終える。護国寺で行われた葬儀には、雨の中、4万人近くの若者が参列。彼の死を悼んだ。 尾崎は、青山学院高校在学中に、CBSソニーのオーディションに合格し、83年のアルバム「十七歳の地図」でデビュー。85年に発表した4枚目のシングル「卒業」が大ヒットし、一躍ティーンエイジャーの教祖的存在となる。歌詞のなかで「夜の校舎、窓ガラス、壊してまわった」とあり、真似をした中学生もいたほど影響力が強かった。透き通るような声で、若さ特有の、抑圧からの解放や愛をテーマに熱唱する。2枚目のアルバム「回帰線」がオリコンチャートで1位になり、コンサートでは何万という若者を動員するまでになった85年、まだ20歳の尾崎は、角川書店から小説『誰かのクラクション』まで出している。86年、無期限活動停止宣言をし、単身渡米する。帰国後覚醒剤所持で逮捕。88年拘置所から釈放された直後に結婚。89年には長男が誕生するが、突然の死はその3年後にあたる。 |
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