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流行語大賞2006からキーワード〜part.2

たらこ・たらこ・たらこ

キグルミ

1996年生まれのハルカと、1994年生まれのレナのユニット。頭にたらこの着ぐるみをかぶり、たーらこー・たーらこー・たーっぷーりーたーらこ〜♪と歌い、レコード大賞特別賞も受賞。

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キユーピー

1919年食品工業(株)として設立。1925年に日本で初めてマヨネーズの製造を始めた。発売当初、セルロイドのキューピー人形が世代を問わず人気だったため、みんなに愛されるようにとキユーピーマヨネーズと名づけられた。1957年に社名をキユーピー(株)に変更。社名表記のユは大きいユだが、読み方はキューピー。デザイン上の理由から大きなユを使用しているとされる。

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3分クッキング

1963年より放送が開始され、ギネスにも載った長寿番組。地域によって放送内容が違い(日本テレビ(NTV)系と中部日本放送(CBC)系の2パターン)、講師もメニューも異なる。放送開始時は本当に3分の放送時間であったが、1966年からは正味7分になった。

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ローズオニール・キューピー

1874年ペンシルバニア州生まれのイラストレーター、ローズ・オニールがキューピー生みの親である。1909年にアメリカの婦人雑誌に掲載されたのがはじまり。ローズ・オニール遺産財団から日本での著作権を譲り受けている日本キューピークラブは、1998年にキユーピーマヨネーズのロゴマークは著作権侵害に当たると裁判を起こした(のち原告請求は棄却)。背中に羽根のあるのがオリジナルとして、ローズオニール・キューピーと呼ばれている。

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想い出博物館

京都は嵯峨野にある私設博物館。入り口では大きなキューピー人形が迎え、1階にはメンコや紙フーセンなど江戸時代頃のおもちゃから、ブリキのおもちゃやキャラクターグッズといった昭和にかけてのおもちゃ約5000点が展示される。2階では日本一ともいわれるキューピー人形のコレクション約3000点が展示され、オフィシャルショップとしてキューピーグッズも販売されている。

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ジャポニカ学習帳

誰もが一度は使ったことのあるノートがジャポニカ学習帳。このノートを作っているのがショーワノート。1970年の登場以来、品質やデザインは改良しつつも、表紙に使われているのは一貫して同社のオリジナル写真。自然と生命のすばらしさを知ってもらうために、独自に取材班を世界各地に派遣して撮影した、珍しい昆虫や花の写真を表紙に使用し続けている。2006年10月にたらこキユーピー自由帳をはじめ、たらこキユーピー文具の取り扱いを始めた。

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鳥インフルエンザとマヨネーズ

鳥類がA型インフルエンザウイルスに感染して起こる病気。キユーピーは、マヨネーズの中で鳥インフルエンザウイルスが30分以内に感染性を失うという研究を2004年に日本食品微生物学会で、06年にはカナダの国際学会で発表した。日本で生産される鶏卵250万トンの9%に当たる23万トンを使用しているキユーピーは、2002年より、鳥取大学と共同で鳥インフルエンザにまつわる研究してきた。マヨネーズ中で鳥インフルエンザウイルスが不活性化する理由は、マヨネーズに含まれる食酢の作用と、乳化された植物油によるとされる。

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ガム子

すけとうだらの卵の成熟度をあらわす言葉。未成熟で皮が厚く、ガムのようにいつまでも口に残るのが「ガム子」で、卵がぎっしり詰まった完熟状態は「真子」、柔らかくなってくると「目付け」、産卵直前で水分の多いぶよぶよした「水子」、そして「皮子」という風に成長の度合いが表される。良質な明太子に加工するためには「真子」が使用されるという。

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ムーミン

ピーターラビット、ハローキティ、レイモン・ペイネ、スヌーピーに続いて、2006年からキユーピーの瓶入りマヨネーズのキャラクターとなったのがおなじみのムーミン。作者はフィンランドのトーベ・ヤンソン。1944年にスウェーデンの政治風刺を身上とする雑誌「ガルム」で作者ヤンソンの分身として風刺画に登場。1953年からイギリスの新聞でコミック連載が始まると、世界中で翻訳され、人気を集めた。日本では、1969年にアニメ化され、2006年12月17日に逝去した女優・記した今日子はアニメ・ムーミンの声として親しまれていた。

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ゲルニカ

1981年に結成された、戸川純、上野耕路、太田螢一による音楽ユニット。1982年に細野晴臣のプロデュースでデビューし、歌唱担当・戸川、作曲演奏担当・上野、作詞美術担当・太田というそれまでのバンドとは全く異なるアプローチで、80年代ニューウェイブのひとつの象徴ともいわれた。「たらこ・たらこ・たらこ」の作曲者はゲルニカのリーダー上野耕路。現在は日本大学芸術学部映画学科にて「映画音楽」の講義を行っている。

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