月刊基礎知識
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言葉遊びシリーズ「日本語・根ほり葉ほり」
執筆者 三木邦裕

「日本語・根ほり葉ほり」

天才肌

天才と天才肌はどう違うのだろう。鈍才とはいうが、鈍才肌は聞いたことがない。イチローが天才肌だとは誰も言わない。彼は天才だという。一体「肌」って何?

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ママさん選手

「ママさんコーラス」「ママさんバレー」等、「ママさん選手」という言葉がある。彼女は、妻として、母としてそして選手として日夜活躍を続けている。しかし、パパさん選手、パパさんコーラス、パパさんバレーとなると、聞いたことがない。彼も、夫として、父として、そして選手として日夜活躍を続けているはずだ。

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世界は一家、人類は皆兄弟

昔、流行ったCMに「世界は一家、人類は皆兄弟」というのがある。ラジオでこんな投書が取り上げられていた。「世界は一家、人類は皆兄弟なのに、どうして戸締り用心をするのですか」。ところで、刑法244条には親族間の犯罪に関する特例(親族相盗例/しんぞくそうとうれい)がある。つまり、刑法は親子や兄弟姉妹の間の盗みなどに関して特例を設けているのだ。なるほど刑法というのは、考えて作ってあるわいと思ったものである。

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落石に注意

山の中の道を車で走っていると「落石に注意」という標識をよく見かける。昔、クルマの運転を始めた頃は、山の上から落ちてくる落石にどうやって注意を払えというのか、と困ったものだ。そんなことをしていたら、谷底に転落してしまう。また、落石してくれば多分避けようがないだろう。最近になって、これは「落ちている石に注意しよう」ということだと人におしえられた。そうだったのか。日本語は難しい。

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もはや戦後ではない

「もはや戦後ではない」という言葉というか有名なフレーズがある。以前、「現代用語の基礎知識」の編集長に確認したところ、昭和31年に流行ったということだ。昭和31年ですでに戦後ではなかったのか・・・。さて、現在はどうか。「もはや戦後ではない。戦前である?」。

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小悪魔

皆さんはこの「小悪魔」という言葉から何を連想するでしょうか。これは単に「悪魔」に「小」を付けているだけである。しかし、「小神様」、「小仏(トンネルはこの名前か)」、「小邪気」「小釈迦」「子アーリマン」等という言葉はない。どうして、「悪魔」だけに「小」が似合うのであろう。『小僧の神様』という志賀直哉の小説があったが、これは無関係である。

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大の字

よく「大の字」になるという。畳の上が似合いそうだ。これほどぴったりくる良い表現はないように思う。英語ではこれをどういうのだろう。「Xの字」や「Yの字」は違うような気がするし…。

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校歌

日本人は非常に奥ゆかしい。自分の故郷のことを尋ねられても「いやー、たいした所ではないですから」等という趣旨のことを答える人が大半である。しかし、校歌は異なる。日本中すべての校歌は「ふるさとの山や川」の賛美歌である。どうだい、これほど美しい風景が他にあるかい、という感じである。日本人の奥ゆかしさはどこにいったのだろう。断っておくが、このことが「悪いわけ」ではないと考えている。私は大阪に生まれ大阪に育った。誇るべき山も川もない。しかし、校歌には常に「生駒の山」を賛美する言葉が躍っていた。なお、これは「市歌」等でも同様である。ちなみに、大阪市の市歌は、「仁徳天皇」を引き合いに出し、大阪市が如何に栄えているかを謳っている。

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きつねうどん/たぬきそば

関西では、揚げの入った「うどん」を「きつね」といい、揚げの入った「そば」を「たぬき」という。つまり、「きつね」は必ず「うどん」であり、「たぬき」は絶対に「そば」なのである。東京では、揚げの入った「うどん」を「きつねうどん」といい、揚げの入った「そば」を「きつねそば」という。つまり、「きつね」と言っただけでは「うどん」なのか「そば」なのかは分からない。

大阪の人が東京で蕎麦屋に入り「きつね」を注文した。店員は「『そば』にしますか、『うどん』にしますか」と聞く。大阪の人は訳が分からず黙ってしまった。ことが「うどん」と「そば」でよかった。これが、医学用語や法律用語であれば、この程度ではすまない。

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お客様は神様です

「お客様は神様」です、と言った歌手(故人)がいた。あるとき、ラジオを聴いているとその人が「神様だったお客様はみんな仏様になってしまった」という話をしていた。日本って節操のない国だなぁと思った。

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おいもさん

関西、特に京都ではとかく食べ物に「〜さん」とつける。「おいもさん」がその典型例であろう。あるとき、東京の人が京都のことを思って「ニンジンさん」と言っていた。私が知る限り、人参に「さん」をつける習慣はない。何でも「さん」がつくのではないことを初めて認識した。そういえば、「カレーさん」とは言わない。

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嫁をもらう

日本は憲法24条に男女平等を掲げ、また、民法などをみると、「家制度」も表面上はなくなったように見える。これが「文明国」の証だ、という人もいる。しかし、「嫁をもらう」という発想をしている人は非常に多い。気をつけて会話を聞いていると「嫁をもらう」「婿をとる」という前提から抜けきっていない。何が、「文明国」なのか。

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健康にいいこと

最近友人4人で話をしていて話が「健康にいいことを何かやっているか」ということに及んだ。ひとしきり、3人が話し終えた後に、1人が「何のために健康にいいことをするのですか」と真顔で聞いた。彼は何もしたことがないという。「自分の好きに生き死んで何が悪い。どうしてそんなに足掻くのですか?」。なるほど、健康は何のために「いい」のだろう。

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絵にもかけない美しさ

この言葉は、私の知る限り浦島太郎の童謡に登場する。しかし、浦島太郎の絵本には竜宮城が描かれている。絵にもかけない美しさではないのか。

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すき焼きの麩

すき焼きにおける麩(ふ)の役目を考えてみたい。肉は一見良いようだが、肉自体が味を他の具に染み込ませる。一番染み込むのは「麩」ではないかと思うのである。「麩」自体にはほとんど味がない。しかし、すき焼きにおいて「麩」は他の具のうま味のエッセンスを染み込ませ何とも言えない味に変化する。そして、肉はすかすかになるのである。「君よすき焼きの麩となれ!」

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