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森羅万象全てが学ぶ対象ですの用語集

政治・経済系学問のいろいろ

近代政治学

1965年版本誌掲載。以下、

マルクス政治学に対していわれる米国を中心とする政治学。19世紀の政治学は制度論で、ドイツの国家学の影響を受けた。イエリネックの一般国家学は国家の法学的研究と社会学的研究のニ部門にわかれるが、そのうち近代政治学は社会学の側面を発達させた。古典的政治学が政治現象を国家を中心とするものとみたが、近代政治学は政治概念を国家より解放し、国家権力から区別される政党、世論、圧力団体などの研究を発達させた。したがって政治過程論へ重点が移った。米国の政治学は建国のための実践的な技術学としてはじまり、やがてメリアムなどシカゴ学派によって政治心理学的な研究が発達した。ラスウェルにはフロイトの精神分析学との結合も見られる。

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近代経済学/マルクス経済学  modern economics / Marxian economics

1966年版本誌掲載。以下、

近代経済学(近経)とは1970年以後イギリス、フランス、スイス、オーストリア、スウェーデンなどの西ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国において発達してきた理論的な経済学のことで、そのうち代表的な学派として、限界効用学派、ローザンヌ学派、ケンブリッジ学派、スウェーデン学派、新ケインズ学派などがある。これに対してマルクスの思想の方法の上に立っている経済学の流れをマルクス経済学(マル経)という。しかしこの区別は必ずしも学問的なことではなくて通俗的な用法である。わが国では昭和の初めいらい近経とマル経の対立がはっきりとした形を取るようになり、大戦中の窒息状態を経て、終戦後に両者の争いは激しくなった。日本の経済学はまさにこの二大陣営に分裂している観がある。これは世界のどの国にも見られない日本特有の現象である。近経とマル経という用語が日常語としてよく使われているのもこのためである。近経もマル経も経済の動きを分析して実践の基準となる理論をくみ上げようとする点では一致しているが、近経は現象論的であり、マル経本質論的である。つまり経済の成長率、貯蓄と投資の関係、資本や所得や物価や生産などの数量的な動きをそれ自体としてつかもうとするのが近経の立場であるこれに対して余剰価値、絶対的あるいは総体的窮乏化、階級的諸矛盾の激化など、経済の動きを掘り下げて階級対立問題としてつかもうとするのがマル経である。このような違いが生ずるのは、一方が資本の立場を前提してかかっているのにたいして、他方がそれを根本的に批判する労働の立場に立っているためである。しかし世界観の相違はけっきょく和解できない問題としても、二つの経済学は部分的に協力するはずである。最近の現代資本主義論等はその一例である。

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計量経済学  econometrics

1966年版本誌掲載。以下、

計量経済学は、経済理論の形成とその数字的定式化および統計的分析とを同時に行う学問である。経済理論・数学・統計分析を総合する学問で、元来この言葉は、数学および統計学との関連において経済学を進歩させるための国際学会として、1930年に計量経済学会が設立された頃から使われるようになった。それは、数理経済学(mathmatical economics)と経済計測学(statistical economics)の発達に負うものであるが、次の点で両者と異なる。数理経済学は、経済理論を数学的関係式によって表すものだが、その厳密な数学的関係式は現実の複雑な経済関係から乖離する。計量経済学は、この事を初めから意識して、攪乱的要因を確率的な性質をもつものと見なして理論に導入する。また経済計測学は、多様な経済データ―の統計的要因を志すものであるが、しばしば理論無き計測に陥りやすい。計量経済学は経済データ―を理論によってふるいわけるとともに理論そのものに反映させる。計量経済学は一般的に言えば、経済変数の間の関係を数量的に確定するため数学的に表現された経済理論を設立するとともに、統計方法によって理論を検証するばかりでなく、将来の予測をも試みる学問である。

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厚生経済学  welfare economics

1972年版本誌掲載。以下、

ある一定の社会的評価基準から見て、特定の手段(経済組織)が望ましいものであるか否かの判断を下す事を思考する経済学の一分野である。厚生経済学を初めて体系化したのはピグーであるが、彼は評価基準を、経済を構成する個々人の効用の総和を極大化することに求めた。しかしこのことが可能なためには個々人の効用の比較可能性が前提におかれなければならないが、各人のこうようは概念的であり、異質であって、比較は不可能であるそれゆえ比較可能性を前提にしない体系を作り上げることが必要である、として登場したのが、ラーナー,カルドア、ヒックスなどに代表される「新厚生経済学」である。そこでは評価対象を一応、生産の側と分配の側とに分け,後者は、必然的に効用のインターパーソナルな比較が可能なことを認めるものであるとして退け、評価は前者についてだけなすべきだという立場がとられている。

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公共経済学  public economics

1972年版本誌掲載。以下、

従来の財政学を厚生経済学的接近法をとりいれて再構成しようとする学問領域であるが、まだ確立したものではなく、その定義づけも種々様々であるが、完全競争的な市場メカニズムによっては解決不可能な経済問題一般の研究をその内容とするものである。アダム・スミスの「見えざる手」に明らかなように、市場メカニズムは社会的に望ましい状態をもたらす、と主張されるが、これは市場が成立している事を前提におくものである。しかし、現実には特定個人が排他的に消費できないもの(公園など)、情報の不確実性の存在するもの、公害等々に関しては一般に市場は成立せず、しかもそのような財のウェイトが高まってきたところに公共経済学の登場する基盤が見出される。

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公害の経済学

1974年版本誌掲載。以下、

いわゆる公害のおそれについては、心ある識者の間では、今から10年も前に話題に上っていた。しかしそれは高度経済成長政策と所得倍増の掛け声におされて、ほとんど国民の耳には入らなかったのである。(パブリック・ポリューション)という言葉がにわかに流行語となってきたのは、やっとこの2、3年の間のことである。それは日照権、騒音防止、光化学スモッグなどの新語と手を携えて現れてきた。

公害が高度成長政策の落とし子であり、所得倍増デモンストレーションの吹き出物であることは、以上のことからもたやすく理解される。すべて陰のない光はなく、副作用のない特効薬はないとすれば、公害もまた日本経済の発展に伴うやむをえない悪の一つであるといえるかも知れない。なるほどアメリカにも、イギリスにも、フランスにも、西ドイツにも公害の問題はないわけではない。またソ連のような社会主義国においても同じような公害の問題が出てきているのである。だがそれにしても、わが国の公害はひどすぎる。それはごく短期間の間に世界史上比類を見ないほどの急テンポで、経済の脅威的な躍進が遂行されたということだけから説明のつくものではない。そういうこともあろうが、何よりもそれは日本経済の体質、日本社会の特異な構造、概括して言えば、日本人の特殊な社会性に起因するところが多いと考えなければならない。

いったい公害という言葉があいまいである。公の害ということは無意味であるとすれば、公に関する害、公共に加えられた阻害ということでなければならない。だが問題はその公ということであり、公共性ということである。これまで公といえば、長い間宮廷を意味し、公儀を意味してきた。それは公共性の思想とはまったく違う。それはまた民主主義や市民社会の思想とも別物である。ロンドンには光化学スモッグの心配がなく、セーヌ川に魚が泳ぐようになり、ニューヨークに騒音がなくなったとしても、わが国が、都会といわず農村といわず、大気といわず河川や外海といわず、いわゆるたれ流しの害毒に脅かされ続けるであろうということは、いったいどこからきているのか。もはや多くを語らずして明らかであろう。

といっても、公害を日本の特産物のように考えるならば、それはとんでもない認識不足である。公害は何といっても企業活動すなわち資本の運動そのものから発生する、と見るのが基本的には正しい。なぜというに、企業はもともと利潤追求の私設であり、企業医者は資本の人格化されたすがたに他ならないからである。社会のために起業があるのでなく、企業のために社会があるのでなくてはならないのである。資本主義社会の初期の時代には、資本の利潤追求と企業の公共性の間には矛盾はなかった。前者と後者とは直接に一致し、企業の発展は社会的福祉の向上をもたらすものだと考えられていた。マンデヴィルのあの辛辣な風刺「私悪は公益」はこの事態をよく言い当てていた。

だがもはや事態は一変した。私的利益の追求と公共性の確保との間に大きな亀裂が生じた。ただここで注意しなければならいのは、、企業活動には本来このような2面性が含まれていたという事実である。企業の規模が拡大し、生産の技術が高度化するにつけて企業が社会に対して及ぼす影響力は、ますます大きくなり、その結果企業の利潤追及努力と企業の社会性との間に矛盾が不可避的に生じてくる。こういう意味で、公害は資本主義社会の必要悪だといっても過言ではないだろう。ただ同じ資本主義社会といっても、国によってその資本主義に体質的な違いがある事は今見てきた通りである。個人と社会、自由と管理、私的利益と公益といった近代社会の基本的な関係が、どこまでその国に定着しているかということによって公害の扱いが多いに違ってくるのである。

公害の経済学はこれだけではない。最後に、公害における資本主義と社会主義の問題が残されている。すでに見たように、社会主義社会にも公害の問題がある。だとすれば、この問題は資本主義とか社会主義とかいった社会体制を超えた人類史的な問題なのではないか。このような疑問が起きるであろう。まことにもっともな疑問であって、究極的にはまさにそのとおりだと答えなければならない。これは近代文明の本質につきつけられたあいくちである。技術と化学の進歩が、はたして人間にとって、プラスであったのかどうかという根本問題が、ここに提起されていると解しえない訳ではない。

こうみてくると、それはもはや公害の経済学や社会学では埒のあかない、公害の文明批判とでもいうべき問題となるであろう。しかしながら、そこまでいくまえにもう一つ考えてみなければならないことがある。では、人類が資本主義制度や企業組織によって開発することに成功したこのすばらしい生産力を公害というそのマイナス面のために、もともこもなくするような仕方で廃棄するべきであろうか。そのような打毀し運動はまったく無意味である。そこから公害における二つの体制の比較検討という問題がとりあえげられるべき理由がある。郊外は、いまや失業や恐慌の問題の枠を超えた資本主義の命とりの問題だといえそうである。

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政策科学

1974年版本誌掲載。以下、

第2次世界大戦中にアメリカのH・ラスウェルによって構想されたもので、政策形成と政策実施に関わる科学であり、政策問題に関連するデータを提供する学問。1950年代の冷戦構造の中で、戦争遂行にとって必要な政策に対するデータの提供に終始したのに比して、70年代に入ってから、情報化社会の進展の中で、コミュニケーション、製作形成過程、予測、計画、意志決定、紛争解決などの諸問題に対する応用研究の場として、インターディシプリーナリーな学問として、再度構築され研究が始められている。

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地政学

1979年版本誌掲載。以下、

科学としての政治地政学は、ラッツェルによって始められ地理学の一部として発達したが、地政学はスウェーデンのチェレンによって、あるべき(ゾルレン)の学として樹立された。これを受けて、ドイツのハウスホーファーがアジア太平洋地域の地政的考察をまとめた。以後、地政学は「血と地」の論理に基づきドイツ人の生活空間(レーベンスラウム)を主張する道具となり、第2次大戦中はナチスによって利用された。国際政治には力の対立があり、それぞれの国家および民族には生きるための戦略がある。それらは、地知的位置、自然環境、資源、交通、人工密度、その増減などと不可分である。地政学が世界政治の政策学として樹立されるならば、その役割を復活することができよう。

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情報経済学  information economics

情報の価値の生産・流通・消費に関する学問。情報は従来経済学の対象にならなかった。それは情報のもつ(1)非移転性、(2)非消耗性、(3)機密性などに基づくが、印刷、通信、放送、など情報の機械的電子的生産技術の発達に伴って情報がようやく経済財としての性格を持つようになってきた。そしてコンピュータの出現は高度な経済価値を持つ情報の大量生産大量流通をもたらし、情報産業やシステム産業の発達をみるなど、個々に情報経済学の成立を可能にした。

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海洋政治学

1982年版本誌掲載。以下、

海洋、領海、国際海峡をめぐる国際関係、南極と北極とを含めるすべての海洋の海中および海底の資源開発をめぐる競争、さらにそれをとりまく軍事的側面などを研究する学問。

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ジョーンズタウンの経済学

1983年版本誌掲載。以下、

富者に有利となるような減税措置や弱者に苦痛を強いる社会的支出のカットなど、レーガン大統領の「大企業寄り」の経済政策の路線を皮肉った言葉である。ジョーンズタウンというのは1978年10月に狂信的宗教グループの集団的自殺が行われた町の名前であって、レーガン大統領の経済政策はまさに経済的弱者に集団的自殺を強いるような政策に他ならないとすることから命名されたものであるアメリカの労働界の指導者カークランド氏によって用いられた。このような命名の適否は別にしても、レーガン大統領の経済政策の路線が富者とか大企業に有利なものであることは周知のところである。その意図するところは、富者による貯蓄で資本蓄積を充実し、もって生産力を増進することによりアメリカ経済の再生を期す、ということにある。

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経済人類学  economic anthropology

1987年版本誌掲載。以下、

経済学と人類学を重層的に総合した理論。ハンガリー生れのカール・ポランニーなどによって主張され、またフランスではモーリス・ゴドリエなどがこの分野で活躍した。これは、経済学や人類学といった個別的な学問の領域が、それ自体では成り立ちにくくなった状況に対応しようとして作られた理論であり、その意味ではこれまでの経済学・人類学そのものに対する批判を含んでいる。そうであるとすれば、経済人類学はこれまでの純粋な経済学が扱わなかったような、たとえば宗教や呪術などをも考察の対象とすることになる。したがって経済人類学は必ず脱領域的な理論になり、アカデミックな立場から非難されたりすることになる。しかし、経済人類学のような理論のあり方は、将来の学問のひとつの方向を示唆するものであると言えよう。

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ニュー・ケインジアン経済学  New Keynesian Economics

1993年版本誌掲載。以下、

市場価格のもつ需給調節機能を前提にして、生産資源の効率的配分の条件を分析する新古典派の経済学に対して、ケインズは、市場機構のもつ限界を指摘しつつ非自発的失業の発生原因を明らかにした。しかし、たとえば財貨市場で超過供給があるのに市場価格が硬直的であり、また労働市場で失業が存在するのに貨幣賃金が下落しないといった価格体系の非伸縮性の現象を単に事実の問題として指摘するだけでは不十分であって、理論的にこれをミクロ経済学における経済主体の合理的行動の原理にまでさかのぼって解明しようとする試みが次第に支配的となってきた。いわゆる「マクロ経済学のミクロ経済学的基礎づけ」がそれである。ニュー・ケインジアンとよばれる経済学は、不完全競争下における価格分析をふまえながら、資源の最適配分に関する市場価格の調整機能の不完全性を失業問題と結びつけて分析し、ケインズ経済学を再構築しようとするものであって、ハーバード大学のG・マンキューらがその研究グループの一代表者と目されている。

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金融経済学  financial economics

1992年版本誌掲載。以下、

かつては証券市場論あるいは金融市場論とよばれていた学問領域に対し、リスクと収益に対するポートフォリオ選択の不確定性に関する現代の価格分析を中心にして、資金需要者・資金供給者およびその両者を仲介する金融機関の行動分析を基礎にしながら、金融市場および証券市場の機能を解明しようとする学問領域のことをいう。その中心をなす研究者は、アメリカのH・マーコビッツ、W・シャープ、M・ミラーの3教授であって、現代の金融経済学の学問領域を1990年度に確立した貢献に対して、3人に対して同時にノーベル経済学賞が授与された。金融経済学の新しい展開が資金運用の戦略や技法に関して実業界に及ぼした衝撃は非常に大きいといわれる。金融の自由化の進展と共にポートフォリオ選択の関心が深まるにつれて、金融経済学の重要性は、さらに高まるものと思われる。

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地経学  geo-economics

1993年版本誌掲載。以下、

「ゲオ・エコノミックス」。政治学(ポリティックス)上の諸問題を世界的な地勢や地理(ジオグラフィー)の視点から考えようというのが“地政学”(ドイツ語でゲオポリティーク)であるが、この考え方を経済学(エコノミックス)の分野にまで押しひろめたのが「地経学」である。かつて地政学はナチスに悪用されて「国際謀略のツール」のようになっていったが、ポスト冷戦の今日、「軍事力より経済力」と言われる大状況の中で地経学が世界制覇の有力な手段として利用される恐れは大いにある。それを避けるためにも、眼光紙背に徹するが如き鋭くも深い洞察力でもって「世界の中の日本」を経済学の範疇から1歩も2歩も踏み出したインターディスプリーナリィ(学際的)な視座から見据える必要がある。

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新制度派経済学  neo-institutional economics

1996年版本誌掲載。以下、

古典学派または新古典学派の伝統的経済学に対し、経済現象の決定における社会的・政治的な要因または経済組織の要因の重要性を強調する立場は、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカのT・ヴェブレンを中心に「制度学派」とよばれる一つの学派を形成した。この学派は引き続きJ・R・コモンズ、W・C・ミッチェルらによって継承されたが、第2次大戦後、制度学派はC・E・エアーズ、G・ミュルダール、J・K・ガルブレイス、G・コルムらによって新たな段階に入ったといわれる。この1945年以降の制度学派を「新制度学派」という。1993年のノーベル経済学賞を新制度学派でワシントン大学のダグラス・ノース教授が受賞したことにより、改めて制度学派への関心が高まっている。

ヴェブレンの一連の著作から明白なように旧制度学派が分析の対象にしてきたのが「産業経済」であるのに対して、例えばガルブレイスの一連の著作から知られるように単に産業経済の問題だけではなく「脱工業経済」の問題が新制度学派の主要な研究対象である。1965年に「進化論的経済学会」(The Association of Evolutionary Economics)がアメリカにおいて設立され、その機関誌Journal of Economic Issuesが刊行されることにより、新制度学派は確固たる学術的基礎づけを構築した。

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環境経済学

1996年版本誌掲載。以下、

経済活動と環境の関係を研究対象とする学問領域のこと。例えば「ピグー税」や「コースの定理」にみられるように、伝統的経済学においても私的生産活動が作りだす環境汚染のような外部不経済の問題を、市場メカニズムの中にいかにして内部化しうるか、が分析の対象とされてきた。しかし現在の環境経済学は、大量生産・大量消費によって特色づけられる経済発展が、地球温暖化や海洋汚染といった地球的規模の環境破壊の問題といかなる関係をもっているのか、環境保全のために経済活動をどのように統御するべきか、という問題にまでその研究領域を拡大しているのである。その意味で現在の環境経済学は、環境にかかわるいわゆる自然科学の領域、経済学・政治学・法律学・倫理学などを含む人文科学の諸領域にまたがる学際的学問の体系なのである。欧米諸国では既に20年も前から経済学者や社会学者によって環境研究が進められ、環境保全のための具体的提言が行われてきたといわれている。これに対してわが国の研究状況の出遅れは否めず、大学や研究所における環境経済学の早急な展開が望まれるのである。

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政治地理学  political geography

1993年版本誌掲載。以下、

政治現象の地理学的研究のこと。地政学(geopolitics)と似ているが、地政学が国際政治の応用面的側面やジャーナリスティックな側面を重視する傾向が強いのに対し、政治地理学は、国内の地方行政、首都立地・移転、選挙の地域的動向、あるいは国際的な国境問題や国土の形態と地域構造、さらに地球規模の国際政治関係を地図や地理情報に基づいて研究する。いわゆる政治大国では政治地理学が盛んであるが、日本では戦争中にナチズム的地政学が行われたことの反省により、戦後長い間、あまり陽の目を見ない分野であった。しかし最近では、政治地理学の研究が急速に増えつつある。

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情報の経済学

1997年版本誌掲載。以下、

相手の好みや行動様式がわからない場合にどう意思決定すれば効果的という研究分野。1996年のノーベル経済学賞を受賞したビクリー(カナダ)、マーリーズ(イギリス)の両氏がこの分野の大家。

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進化経済学

1998年版本誌掲載。以下、

1997(平成9)年3月、京都大学の大会において「進化経済学会」という新しい学会が発足した。これは制度と技術の進化の問題を多様な専門領域から学際的に研究しようとする学会であって、設立会場には、経済史・技術進歩・制度分析・科学史・社会思想史・経済学史などの専門家約200人が参集したと言われている。学会設立の協力者の塩沢由典教授(大阪市立大学)によれば、進化経済学はこれまで理論分析の前提とされてきた制度や技術という対象を「進化」という視点からアプローチしようとするものであって、これから作りあげていくべき学問であるとされる。進化論といえば直ちにダーウィンの名前と結びついた生物学における進化論との関係が問われる。これに対して塩沢教授によれば、生物学における進化論は個人の能力や遺伝子の優劣といった個体レベルでの進化が問題とされるのに対して、経済進化論における進化のメカニズムは知識としての制度や技術という社会的側面が注目されるのであって、両者は区別されなければならないとする。ただ、わが国では進化論については多様なアプローチが提出されており、進化経済学もそれらとの交流を通じて大きな展開が期待されているのである。

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