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森羅万象全てが学ぶ対象ですの用語集

歴史・考古系学問のいろいろ

考古学

1954年版本誌掲載。以下、

人類の物質的遺物によって、その過去を研究する学問。人類の物質的遺物とは人類が過去に残した一切の物件を指す。衣食住のような生活関係のものから、工作具、農具、工房のような生産関係、船、車、橇のような交通関係、武器城砦のような軍事関係、祀殿、祭具のような宗教関係、冠婚葬祭のような習俗関係、村落、都市、道路、橋梁、水道、溝渠、港湾のような社会経済施設関係、絵画、彫刻のような芸術関係など、一切のものをふくむ。これらの遺物によって人類の過去を研究する時には、文献資料のない、すなわち歴史学では取り扱えない、遠い人類の過去―先史時代―をも明らかにすることができ、また貴族、庶民の区別なく、文明、未開の別なく、人類の全ての方面を公平に取り扱うことができる。それで人類の過去を総合的に明らかにして、新しい史観をうち立てるために、考古学の担う役割は非常に大きい。

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新党考古学

1968年版本誌掲載。以下、

日本の起源を考古学的遺跡、遺物から研究する学問。わが国に仏教渡来以前からある最も古い宗教は神道で、太陽、月、星、山、というようなし前物崇拝にその源を発している。すり鉢をふせたような山が見える峠の上などに土師器の皿、滑石製の鏡、剣、刀子(とうす)などの模造品がかたまって埋没している場所がある。これは祭祀の場所であり、祭祀遺跡などとも呼ばれる。大きな岩の間から弥生時代の平形銅剣が数枚重なって発見されることもある。

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水底考古学

1969年版本誌掲載。以下、

海底考古学というものが、湖底や川底の場合もあるので、水底考古学ほうがより包括的で、適当な用語である。水底に遺跡や遺物が沈下、埋蔵されていること派、むろん多数であろうが、その遺跡、遺物を学問的に調査研究する、いわゆる水底考古学が成立したのはごく最近である。それまでは、潜水夫が偶然水底で骨董的遺物を見だして、それを揚陸(サルベージ)したり、好事家が財産が沈んでいるという伝承のある湖底などに潜って遺物を探したり、純粋に考古学的な目的や方法によらないものはあった。ところが最近ではアクラングの発達などで、かなり長時間水中にとどまることが容易になり、考古学者が自ら港部遺跡や沈没船などの遺物を水底に求め、それらを陸上の場合と同様な考古学的方法で発掘調査することが行われるようになった。その代表的な例がバスやスックモートンらによって行われたトルコの地中海沿岸に沈んだ青銅器時代やビザンチン時代の難破船の調査である。

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航空考古学

1969年版本誌掲載。以下、

英国のクロウフォードが第1次対戦後に提唱した航空機による遺跡の捜査・調査法。彼によれば遺跡は上空から観察、撮影される場合、日出、日没時の低い斜めの太陽光線の作る陰影によって、また表土の攪乱やそれに基づく変色によって、さらに耕作穀物の成長の相違による田畑のミドリ色の深浅によって、陸上では認識しがたいものも、容易に見極められるので、それによって遺跡の発見や調査が可能になるという。実際この方法によって英国の著名な巨石遺跡ストーンヘンジに導く、同時代の長い道路の遺跡や、メソポタミアにあるセレウコス朝の首都セレウキアの遺跡、イタリアにおける新石器時代あるいは初期青土器時代の丘上城塞の周濠の遺跡、スピナのエトルリアの都市および墳墓の遺跡など重要な遺跡が発見された例が少なくない。最近で出は遺跡付近の地図の作成や、遺跡全景の俯瞰写真、遺跡の立地や分布の状況写真などに航空機を利用することは、考古学の常識になっている。

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水中考古学

1973年版本誌掲載。以下、

遺跡が陥没し、海底または湖底となった遺跡、海岸、湖岸に営まれた集落が水位の上昇で海底に沈んだ遺跡、古代に航海中事故で水底に沈んだ船舶、このように現在水底に沈んだ遺跡、遺物の調査研究を行う分野に近年水中考古学の名称がつけられた。地中海方面では水中眼鏡、アクアラングをつけて、海底に沈むギリシャ時代の船の内部を探索し、ギリシャ時代の時などを取出す、宝捜しのような研究は早くから行われていた。わが国にも諏訪湖、琵琶湖などの湖底に縄文、弥生時代の土器、石器が埋没しており、魚網などにかかって偶然定形土器が引上げられることもある。浅い水位の場合は周囲に提をきづいて、内部の水を干して発掘調査もするが、10メートル以上の湖底に存在する遺跡については現在調査の方法がない。

古代に生活中に水底に没した遺跡には陸上の一般遺跡では残存困難な植物質遺物が良くそのままの状態で残っており、陸上では調査研究のできない資料が得られるので、今後自然科学の躍進に伴って脚光をあびる新しい分野の考古学である。

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実験考古学

1976年版本誌掲載。以下、

縄文時代の土器の作り方を研究して、粘土を採集し、縄文文化の各時代の製法に従って焼きあげ、遺跡から発掘された土器と瓜二つのものを作り上げて、これに水を入れ、中に獣肉、魚肉、食用植物などを入れて焚き火にかけて煮沸し、何回ぐらいの煮沸に耐え、次第に亀裂が生じ使用に耐えなくなるかを実験し、また1家族使用の数個の煮沸用時が年間を通じ、最低何個ぐらい必要かを実験して調べるのも実験考古学の一例である。

千葉市加曽利貝塚博物館の故新井司郎は縄文土器の焼成の実験的研究を行った1人で、その遺稿は1973年「縄文土器の技術 ―― その実験的研究序説(貝塚博物館研究資料第1集)」として加曽利貝塚博物館から刊行された。この著者はおそらくわが国で実験考古学の成果をまとめた最初の著作として評価されている。

また、鹿角を硅質頁岩、黒曜石などのフレーク(剥片)を使用して切断、削って加工し、鹿角製釣針、銛を製作する実験を宮城県石巻市在住の楠本政助が行っている。

石器の製作法の研究は欧米でも早くから手がけられ、実験的研究もかなりおこなわれ、その研究著作も、1、2にとどまらない。日本でも東北大学の芹沢長介教授をはじめ、2、3の人びとの研究が知られている。

住居や集落の復元など、当時の生活環境を復元してゆくためには、過去のすべてのものの製作工程を実験によって究明することが最も大切であり、今後の考古学研究にとって最も重要な一分野を占める研究となることは疑いない。

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産業考古学  industrial archeology

1978年版本誌掲載。以下、

産業革命の初期の段階はすでに歴史の雲に覆われようとしている。近代産業の代表である製鉄業にしても、初期の技術や経営組織などに関する記録や設備の遺構などは失われようとしている。これらの遺跡、遺物を保存研究することで、未来の産業のあり方を考えるよすがとしようとするもので、1950年代半ばにイギリスで生まれた学問が産業考古学であり、日本でも学会活動が行われるようになった。

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遺伝子考古学  gene archaeology

1986年版本誌掲載。以下、

生物の進化は遺伝子の進化である。ミイラから遺伝子(DNA)が取出されたと報告されている(1985年5月)い、アメリカのケネディ宇宙センター西方の湿地帯で、葯7000年前のインディアンの祖先と思われる人の脳を発見してDNAを取出したという報告もある。このように取出されたDNAの現代までの変化から進化が考えられ、遺伝子考古学という発想が出てきており、さらに分子考古学という考え方にも進展していく。最近、民族によっては特徴的な遺伝子を持っていることが知られてきて、日本人に特有な遺伝子も東大人類学教室の徳永勝士助手が発見してから、万一、大陸のどこかで、この遺伝子タイプを持つ数千年前の遺体が見つかるようなことがあると、そこが日本人の起源の一つとみてよいことになる。これも遺伝子考古学の一研究である。

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構造人類学  anthropologie structuale

1988年版本誌掲載。以下、

広義には、「構造分析(structural analysis)の方法を駆使する人類学的研究」の総称であるが、狭義には、レヴィ=ストロースに代表されるような「人類の根源的論理は常に異質の2つの部分の対立と連帯に根ざしている」と主張する学説を言う。

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ハイテク考古学

1989年版本誌掲載。以下、

先端技術を駆使して研究を進める考古学を、ハイテク考古学と呼ぶ。50年前に撮影されたX線写真をコンピュータで画像解析し、また遺物の出土状態を撮影した写真から副葬品を復原して、大阪・阿武山古墳の被葬者を藤原鎌足と推定した方法は、その代表的な例である。ピラミッド空洞説を電磁波によって探査したり、仏像彫刻をCT(X線断層撮影装置)によって解析し、その年代決定に重要な手がかりを得るなど、まさにハイテク技術は考古学の新しい方向性を生んだといってよいだろう。

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宇宙考古学

1996年版本誌掲載。以下、

人工衛星から撮影された写真や映像を解析して、遺跡の状況を明らかにしようとする試みを「宇宙考古学」という。衛星写真は広範囲に撮影できるため、遺跡立地の検討や、新たな遺跡の分布調査に威力を発揮する。また、現在の衛星写真は、地表面の物体に太陽光線が当たって反射した電磁波を捕らえ、これをデジタル信号で地上に送る方式のものが多い。電磁波は地表面の材質のみならず水分量や植物生育量などによって、強さや波長が異なるため、受信したデータを解析する際に特定の電磁波を取捨選択すれば、知りたい情報だけを取り出すことも可能になる。こうした特性を利用して遺跡の立地や遺跡を取り巻く環境を復元できる強みがある。現在、シリア砂漠のパルミラ遺跡や、シルクロード関連の遺跡など広域・辺境の調査で採用され成果を上げている。

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情報考古学

1996年版本誌掲載。以下、

考古学の調査・研究に、統計的な手法を用いコンピュータを活用する分野を特に「情報考古学」と呼び、学会も創立された。近年の発掘調査で得られた考古学資料は膨大な量にのぼり、さらに増加傾向にある。こうした資料を活用するために、日本では70年代にコンピュータが取り入れられはじめ、80年代に入りパーソナルコンピュータの普及と共に統計を利用した分析や、シミュレーションなどの研究が行われるようになった。現在はインターネット(地球規模でつながったコンピュータの通信網)を利用して、情報のやり取りを行い、調査研究に活用しようとする動きもある。こうした動きを「オンライン考古学」と呼ぶこともある。

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戦跡考古学

1998年版本誌掲載。以下、

戦時中のさまざまな地下壕を戦跡とし、それを戦時下の日本の実態を示す遺跡として研究。文献と突き合わせて歴史的事実を立体的に浮かび上がらせる。沖縄県立博物館学芸課長・当真嗣一が1984(昭和59)年地元の研究誌に発表した論文に使ったのが造語の初出。97年の7月には、松代大本営のあった長野市松代町で第1回戦跡保存全国シンポジウムが開かれ、「戦争遺跡保存全国ネットワーク」が結成された。

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地震考古学

1991年版本誌掲載。以下、

噴砂、断層など、地震に関係する地質学の現象と、遺跡、遺物の考古学資料とを統一的にとらえることにより、年代決定、環境復原などに取り組む新しい研究分野。地質調査所の寒川旭氏を中心として、すでに各地域で研究が進められ、成果を挙げている。

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年輪年代学

2002年版本誌掲載。以下、

樹木の年輪を一つずつ丹念に読むことで行う、年代測定法。年輪の幅などのパターンが共通する部分に重ねていけば、年輪ひとつひとつがどの年に当たるのかたどることができる。誤差の幅の出る放射性同位体を使う年代測定に比べ、1年単位の結果を出せる。法隆寺の五重塔の心柱が594年に伐採されたことを突き止め、再建時期をめぐる論議が再燃した。

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