月刊基礎知識
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森羅万象全てが学ぶ対象ですの用語集

宗教・哲学系学問と関連学問のいろいろ

弁証法神学

1950年版本誌掲載。以下、

キエルケゴールの永遠と時間との質的弁証法の影響を受け、近代神学の人間中心主義に反対して、聖書における神の言、神の啓示、イエス・キリストにおいて神の絶対的超越性を確認することを主張する。その主唱者はカール・バルトである。戦時中ナチに対して反対して告白教会を提唱した。そのため、ゴガルテン、プルンナー、ブルトマンなどから分裂した。弁証法神学はまた、危機神学とも言われるが、この危機は一般に誤解されるような歴史的意味ではなく、神の審判を意味する危機を説くのである。しかし、主唱者バルトは弁証法神学と呼ぶことも好まず、自らは神の言の神学と呼び、教会的教義学の主著に専心している。その友人トウルナイゼンは、最初から最後まで彼のよき同労者である。

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人間学(アントロポロギー)  Anthropologie

1950年版本誌掲載。以下、

科学の対象は客体であるが、哲学の対象は主体である。しかし、主体的なもの、認識し行動するものは人間をおいて他にないから、従って哲学は人間学だということになる。今日、日本で文学上、この語が用いられるようになったのは、三木清の「人間学的文学論」を契機としているが、この場合は、文学を持って人間学と解する。これは、近代文学が人間の意識や心理の探求をモチーフとするため、美学の範疇を超えて哲学の領域にまでまたがった結果である。

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文藝学

1950年版本誌掲載。以下、

文学の学的研究を言うテーヌやブリュンティエールらの文藝学は、文学作品のテキスト批判、その成立の事情、作者の生活と作品との関連を年代科学的に、すなわち実証主義的に文献学的に研究するのであるが、ディルタイやグンドルフなどの文藝学は、文藝作品を歴史的生の表現と考え、哲学的解釈学的に研究せんとする。なお、通俗には一般の文藝評論をも文藝学と称している。

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スコラ哲学

1950年版本誌掲載。以下、

ローマ教会の絶対的権威下にあった中世期の哲学を総称してスコラ哲学という。中世の哲学は、人間や自然の真実から出発することなく、教会の権威下に従属して教会の教義やキリスト教神学の観念的な解釈にのみ終始し、教会的独断論に全面的に使えた「神学の侍女」であった。したがって、スコラスチックというと、一般に、現質から遊離して不合理な概念的な考え方や、一つの権威に従属する一方的な考え方を総称していう。スコラ哲学における主要な流派は、質念論、唯名論であって、ルネッサンス後の近代哲学は、スコラ哲学との闘争によって成長した。

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形而上学

1950年版本誌掲載。以下、

形而上とは、経験の範囲をこえ、自然的物理的存在をこえた、超感性的なものをいい、形而上学とはこれら超感性的存在、或は現象の背後にある本体についての学であり、神や精神、道徳意志、理想などについての学をいみする。古代や中世の哲学は全て形而上学的であったが、近世になると、経験科学、自然科学の勃興に影響されて、反形而上学的、非形而上学的な傾向が生れた。ロック、ヒュームなどのイギリスの経験論哲学、「物自体」の認識を不可能であるとなしたカントの批判哲学、或は形而上学を科学的段階と実証的段階の中位に位するとしたコントの実証哲学などがその例である。マルクスはさらに、これらも同様に、物を個別的不変的に考え、物の内的矛盾を認めない非弁証法的なる見解、換言すれば、古代や中世の哲学と同じ形而上学であると批判した。

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宗教学

1951年版本誌掲載。以下、

宗教とはいかなるものかを明らかにすると同時に、また宗教現象という窓を通して人文現象を明らかにせんとする学問である。広義の宗教学は宗教哲学、宗教史をも含み宗教を対象とする学問的研究を総称し、狭義の宗教学は宗教を対象とする客観的実証学的研究をいう。

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儒学(儒教)

1951年版本誌掲載。以下、

儒教は中国古来の倫理、政治哲学であるが、聖人孔子を至聖先師として祀り、四書五経を経典とし、孔子の没所山東省阜縣城の孔子廟で現代に至るまでその末裔が祭祀儀礼を行っていて中国人の並々ならぬ尊信を受けている事実は、それが宗教的要素を多分に持っていることの証左たり得よう。その教えは修己治人を目的とし、神秘的色彩を帯びないが、我国の道徳宗教思想に及ぼした影響は軽視できない。

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分析哲学  Analystic philosophy

1959年版本誌掲載。以下、

広い意味で用いるときは、いわゆる論理実証主義をも含めて、あらゆる形而上学的諸前提をしりぞけ、いろいろの問題についてその論理的分析を行い、そのその分析を通じて問題の明確化と解決に向けて努力しようという哲学傾向のことを総称する。そして、分析とは思想なり思考なりが言語によって表現されるところから、言語の分析を中心課題中心課題とするという含みである。けれども、狭い意味で用いるときは、いわゆる論理実証主義の人工言語による言語分析が、数学や論理学の意味分析しか行わないのに対して、日常言語の分析を主眼とする傾向の事を指して呼ぶ。この傾向は1930年代の後半、つまり、ウィーン学団解散後、イギリスに逃れて来た学者をも交えて、ケンブリッジ大学の学者達、とくにムーア、ラッセル、ウィトゲンシュタインらの努力によって発展せしめられた。とくにムーアは、現代の経験主義復興の先駆として、今日「分析哲学」と呼ばれる日常言語学派の成立に大きな影響をあたえた。この派にとっては、論理実証主義のように理想言語(人工言語)に還元して分析するという方法はそのアプリオリズムのために好まれず、分析とは、形而上学理論の体系をきづく事よりもむしろ、日常言語の分析、とくに倫理の領域での観念論的誤びゅうをえぐりだす事であった。この方向は、第2次世界大戦後とくに活発となり、オックスフォード大学が中心となったのでオックスフォード学派の分析哲学、またその意図をくんで、日常言語学派とも呼ばれる。前述のヴィトゲンシュタイン、それにウィズダムなどはケンブリッジに属している。

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陽明学

1970年版本誌掲載。以下、

明代の王陽明がたてた儒学の一派。主観的、行動的な儒教哲学で、知行合一を説いた。日本でも反権威の立場にある儒者によって採用された。

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哲学

1972年版本誌掲載。以下、

哲学とはなにか、この問いにたいして、かつて一度も決定的な定義が与えられたことがないという不満を私たちは絶えず耳にする。が、この不満は一面において正当であるが、一面においては正当でない。現実,定義は存在していないのだから、その意味では正当である。しかし、もし哲学が、不満者の求める形で定義される事を拒否する知的活動であるとしたら、この不満は正当ではない。哲学は、一般に「定義」と呼ばれているような規定を受け付けぬ知的活動の一つである。定義は、本質を固定化する形式論理学的操作に属するが、哲学はこうした操作を擬制とし、それを無視しながら、別場で不断に自己形成をとげつつある発展的かつ流動的な知的活動である。その意味では、常識とごく親近な存在形態をとる。

しかし、常識は、それが通用する時代に没入し、時代に対して宥和的、強調的であるが、哲学は、常識が挫折したその瞬間から自己の発想軌道を歩み始める。つまり、時代を自己から突き放し、時代の本質を捕捉する活動のなかで、挫折の原因を探ろうとするのである。

この過程で、哲学はむろん、時代的制約の許す範囲で達成された諸科学の成果を吟味しつつ受容する。そして、常識の挫折を不可避的たらしめた時代の本質を明らかにし、その上で、あらためてそういう時代との主体的対決を試みるのである。対決の結果は、普通、きわめて簡素な標語として、あたえられる。たとえば、近代市民社会が成立し、前近代の常識が次々と挫折しはじめた当時、偉大な哲学思想家達によって、それぞれに呈示された対社会的姿勢は、おおよそ次のようなものであった。

近代とは、「経験による」知こそ力となる時代」(ベーコン)、「万人による万人の闘いである社会。」(ホッブス)、「利己の体系である社会」(ヘーゲル)、「分業による協業によって発展する時代」(A・スミス)、「労働力の商品化による人間疎外の時代」(K・マルクス)等々。

つまり哲学は、前近代的な常識の挫折を原点として出発し、多くの近代科学のせいかを摂取しながら、結局は、上の標語に見られるような対社会の対決姿勢を主体的にうちだすまでの発展的な知的活動、これが哲学だったのである。出発当時とは雲泥の差にある高次な到達点として、これらは今日の常識を形成している。だから、これらの常識もまたいつかは挫折の日を迎えるだろうが、そこから再び、まったく新しい哲学が自己形成の途につくと考えられるべきである。

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現象学

1983年版本誌掲載。以下、

現象とは、何かものが現れた姿をいうが、この姿を見かけの仮象と見て真理との関係を研究する学を、18世紀ドイツの哲学者ランベルトが、始めて現象学の名で呼んだ。同じ頃、カントは、現象はたんなる見かけではなく、、不可知の物自体(本体)にたいして、人間にとっての経験的実在の世界だと考え、現象界の認識論を探求した。ヘーゲルは、無限な絶対精神が有限な仮象を止揚しつつ、事故自身の本質を認識する意識の発展過程の記述を、『精神現象学』と呼んだ。ところで、今日、「現象学の名で呼ばれる哲学は、エドムント・フッサール(1859〜1938)が創唱し、大きな影響を広げたものである。フッサールは19世紀の諸学問のたっている基盤を批判して、厳密な学をうちたてようとした。そのために、世界の事物が、人間が経験する以前に(超越的に)存在していると思いこんでいる、自然科学などがもつ日常的意識、(自然的態度)を批判し、まずこの世界の超越的存在をかっこに入れて、(超越論的還元という)それについての批判を判断を中止し、この操作の後に残る純粋意識(これは個人の自我の主観性)の平面で世界を捉えなおそうとした。もちろん、多くの自我があるわけだから、超越論的還元(自我論的還元ともいわれる)は他我との間の相互主観的(間主観的)還元にまで深められなければならない。以上の2つを合わせた「現象学的還元」によって、自然的、社会的世界は現象学でいう「現象」となる。

ここから、フッサールは、この現象の本質をとらえる本質学を探求した(その方法が形相的還元)が、このような新しい世界の見方は、ドイツでシューラーやハイデッガー、フランスでサルトルやメルロ・ポンティなどによって、さらに実存哲学的に展開され、純粋意識の本質学にとどまらず、人間の生活世界の探求の基本的方法とされた。今日では、哲学にとどまらず、社会学など社会、人文諸科学の方法にも広く影響して現代思想の最も有力な基礎となっている。

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記号学/記号論  semiology, semiotics

1983年版本誌掲載。以下、

一般に、人間は何かを表現するのに記号を用いる。記号には、手ぶり身ぶりをはじめ色々なものが含まれるが、何と言っても基本的なものは言語記号である。この言語記号を中心として、広く記号に関する理論が、記号論である。記号の理論には、大きく分けると、哲学的記号論と言語学的記号論がある。哲学的記号論は、ウィーン学団の論理実証主義の中で哲学の中で探求され、やがて1930年代に、アメリカのCH.Wモリスがパースのパラグマティブの記号論と併せて体系化した。これは記号の解釈を度外視して記号相互の間の形式的関係を探求する「構文論(シンタックス)」と、記号の解釈、つまり記号とそれが指示するものとの関係を探求する「意味論(セマンティックス)」に、さらに記号と記号と記号を作り出したり解釈したりする者との関係を探求する「語用論(プラグマティックス)」を加えて、3部門から成る。その後、記号論理学と、言語の論理的分析が哲学だとする分析哲学の記号論を基礎にさらに、行動主義心理学の成果をとりいれて、動物の記号活動からの高度の人工科学言語(コンピュータや情報理論に関係する)にいたる広い探求分野を持つ記号研究が進められるようになった。

一方、言語学的記号論は、ソシュールによって、身振りや象徴的儀式までも含む広い意味での言葉の研究が「記号学」とされ、その後、言語の伝達過程に関する「コミュニケーションの記号学」と、言語の意味作用に関する「意味作用の記号学」が探求された。今日では、構造主義の出現以後、ロラン・バルトらによって、言語学的記号論が、広く言語活動を基礎にした人間の社会と分化の研究に拡大されて、新しい活動を見せている。

この2つの記号学の流れは、今後相互に関連しつつ、現代最も注目すべき研究分野の一つになっている。なお、この研究分野を記号学(semiologi)と呼ぶべきか記号論(semiotics)と呼ぶべきかについて、今日議論が一定しないが、前者はソシュール、後者はパースとモリスに由来する用語である。

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解釈学  Hermeneutik 独

1983年版本誌掲載。以下、

解釈学は、もともと古代に書かれたもの(テキスト)を解読し理解する技術で、19世紀は初めには、ギリシア・ローマの古典についての文献学、旧・新約聖書の釈義学であった。そこで、言語の研究と、何を言おうとしているのかを了解することが問題となった。

19世紀末に、W・ディルタイが、これを人間の精神の歴史(生の表現)を理解する「精神科学」の方法として用いてから、解釈学は哲学の重要な方法となった。人間の精神の活動(体験)は、外部に表現されたもの(いわばテキスト)の解釈・了解によってのみとらえうる。そこでまた、現実の人間存在の様々な在り方を介して、その本来の姿、さらに存在そのものに迫ろうとする、ハイデッカーらの解釈学的現象学も生まれた。今日では、構造主義とともに、人間と世界を言語活動の基盤から理解しようとする哲学的努力がはじまり、解釈学の方法が再び注目されている。

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ギリシア哲学

1987年版本誌掲載。以下、

西洋の哲学はギリシアから始まったとされている。ギリシアでは早くから自然の世界の意味を考える哲学が成立していたが、「あなた自身を知りなさい」ということを教えたソクラテスの登場によって、「人間」自身が哲学の対象になった。ソクラテスの哲学といっても、ソクラテスは著書を残したのではなく、プラトンが書いた対話の中に出てくるソクラテスの発言によってソクラテスの哲学を知るのである。このプラトンとアリストテレスによってギリシア哲学は完成される。プラトンは生れては変化し消えていく世界と、理性によってのみ認識できるイデアの世界を区別し、やがてこれがキリスト教の考え方と結びつく。アリストテレスは、プラトンよりも経験による知識を重んじたが、その哲学もまた中世ではキリスト教の神学と結びつく。

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日本民間学

1987年版本誌掲載。以下、

戦後の思想形成に大きく係わってきた「思想の科学研究会」の40周年を記念する公開シンポジウムで示された新しい科学・哲学の流れの一つである。コンピュータとばく大な資金、官僚的統制等によって支えられた今日の科学技術に対して民間思想の評価を掲げる鹿野政直、原発立地公害反対の住民運動に立った花崎皋平らの主張が「思想の科学」とどのように係わり合うか、21世紀を目前にした新しい科学と生活がいかに展開されるか、これからの世界の動向を占う重要な起点となろう。

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