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アテネで期待の10代のキーパーソンからキーワード
 

平山相太(ひらやま・そうた)

サッカー選手。1985年6月6日生まれ。

国見高校

言わずとしれた高校サッカー界の強豪校。1967年、長崎県南高来郡国見町に創立された県立高校。国見町は島原半島の最北に位置し、高校だけでなく中学校も小学校もサッカーで全国にその名を知られ、町の街灯までサッカーボールの形をしている。2004年全国高校サッカー選手権でも国見高校は優勝している。平山は北九州市小倉の田原中学校からこの国見高校に進学するが「早く環境に慣れたい」との強い希望から、中学卒業目前の1月にあえて国見中学校へ転校したのは有名な話。

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小嶺アカデミー

国見高校校長でサッカー部総監督である小嶺忠敏が週に1回、県下の中学生を集めて開催するスクールで、将来性のある人材を発掘し育てることが目標。セレッソ大阪の大久保嘉人はその1期生で、その関係で国見高校に進学した。五輪代表選手18名中、小嶺監督に育てられた選手は大久保、平山、徳永悠平の3名。ちなみに小嶺監督の奥さんは寮母であり、夫婦で国見高校サッカー部を支えている。

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学生結婚

2004年4月から平山が進学した筑波大学。1896(明治29)年に、日本で初めてサッカーチームを作ったのが、筑波大学の前身である東京高等師範学校という歴史もある。同大は「同棲率が高い」「学生結婚が多い」とまことしやかに語られていたのは周知のことだが、地方出身者の多さ、大学周辺に娯楽施設が少ないことからそう邪推されたのかもしれない。「東の筑波、西の阪大」というフレーズもあったがこれは管理教育の厳しさを評したもの。

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釜本の再来

1968年メキシコオリンピック銅メダルの立役者でもあり、得点王(7得点)にも輝いた釜本邦茂。日本代表Aマッチ通算成績も75試合73得点と、いまなお日本最高のストライカーとして認知されている。平山は日本協会・川淵三郎キャプテンをして「釜本の再来」と言わしめた。これまでも期待のフォワードが台頭してくるとその都度「再来」との名が冠せられたが、未だにその表現が使われているということは、結局「釜本越え」を果たしたプレイヤーがいなかったということか。平山に限らず「釜本の再来」「釜本2世」ではない「新時代の最強ストライカー」の出現が待たれる。

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太っちょ

平山憧れの選手・ロナウドのスペインでの呼び名。スペイン語でゴルディート(gordito)。“怪物”と称される稀代の名選手も、サッカーが盛んで地域対抗意識の激しい彼の国ではデブ呼ばわりである。もっとも親しみを込めた呼び名でもあるのだが。ブラジル代表でW杯優勝2回、準優勝1回。銀河系軍団とも呼ばれるビッグクラブ、レアル・マドリード所属のフォワード。

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HOT(ほっと)する町

平山の出身地、北九州市のキャッチフレーズがこれ。「HOTで躍動感にあふれる街」「ほっとやすらぎを感じる街」「ホットで新しいことに挑戦していく街」など、魅力ある豊かなイメージを展開するものとなっている。門司、小倉、若松、八幡、戸畑の5市が合併して誕生した同市の政令指定都市への移行は意外と早く全国で6番目。札幌・広島・福岡などに先んじて指定された。

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アテネ経由・ドイツ行き

アテネオリンピック代表チーム「山本ジャパン」の合言葉。監督の山本昌邦は、たびたびこの言葉を口にする。メキシコ大会以来、36年ぶりのメダル獲得を最終目標とするのではなく、2年後のW杯ドイツ大会、さらにその先を見据えての言葉である。一方でこの美しいフレーズには育成に重点を置き、勝利への執着心が薄いことの表れと危惧する向きも一部にある。

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香辛飯屋

「こうしんはんや」と読む。筑波発のカレーレストランのチェーン店。味だけでなく、おしゃれで女性1人でも入りやすいとの評判。チャレンジカレーが2種類あり、1.5kgのカレーライス(ご飯だけで6合分)かガリバーセット(ご飯1kgのカレー、約3人前に相当するトマト丸ごと1個とレタス200gのサラダ、牛乳1リットル使用の巨大苺ミルク)を制限時間内に食べ終えれば各種の特典がある。平山の好物とされるカレーライスだが、“怪物”平山がこの“ガリバー”に挑戦することはあるのだろうか。

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