月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
アテネで期待の10代のキーパーソンからキーワード
 

栗原恵(くりはら・めぐみ)

バレーボール選手。1984年7月31日生まれ。

コウ

栗原選手のコートネーム。バレー選手にはそれぞれコートネームがあり、名前そのものの選手もいるが、大友愛が「ユウ」佐々木みき「レオ」竹下佳恵「テン」高橋みゆき「シン」など名前以外から名づけられる選手もいる。栗原はNECにメグという選手がいたため、"最高をめざせ"の意味を込めて最高の「コウ」とつけられたそう。世間で広く認知されたキャッチフレーズ「プリンセス・メグ」は、バレーボール・ワールドカップの放映権を持つフジテレビのおかげ(せい?)という説もあるが真偽は定かでない。ちなみに同様に若手注目株とされる大山加奈の愛称は「パワフル・カナ」。

ページの先頭へ 戻る

軍艦「利根」

栗原の出身地である広島県佐伯郡に軍艦「利根」の資料館がある。利根は1938(昭和13)年に竣工された旧日本海軍の偵察重巡洋艦。真珠湾攻略などにも参加したが、太平洋戦争末期に江田島湾奥に避難停泊していたところを、米軍の爆撃を受け沈没。この空襲の際、住民の被害も甚大だったことから能美町の町役場近くに慰霊碑が建立された。碑の周囲一帯は「利根公園」として整備され、1987(昭和62)年「軍艦利根資料館」が建設された。

ページの先頭へ 戻る

赤ロケ

アテネ・オリンピック代表選手である高橋みゆき、杉山祥子、大友愛、栗原恵の4人が所属する実業団チーム「NECレッドロケッツ」はファンに赤ロケの愛称でも呼ばれる。総監督の葛和伸元は元日本代表監督。Vリーグでは、96、99、02年の3回優勝。ちなみにNEC男子チームはブルーロケッツ。

ページの先頭へ 戻る

スーパーエース

ポジションの名称で、セッターの対角に位置する選手のこと。元々はライトプレーヤーといわれ、前衛では攻撃に参加し、後衛に回るとレシーブしたボールを攻撃につなげる役目を果たすポジションであったが、後衛でのバックアタックが攻撃の重要な鍵を握るようになった近年のバレーでは、ライトポジションでバックアタックを鬱選手をスーパーエースと呼ぶようになった。男子では山本が有名。栗原は全日本女子のスーパーエースとして期待されている。

ページの先頭へ 戻る

日新製鋼

1959(昭和34)年に日本鐵板と日亜製鋼が合併して発足した製鋼会社。表面処理製品・ステンレス鋼などの薄板部門に特化したメーカーで、表面処理の分野では、明治末の創業当初から亜鉛鉄板の製造を行うなど、長い伝統を誇る。栗原の父・孝治さんは元日新製鋼バレー部所属。アテネ代表監督の柳本晶一も日新製鋼の監督を務めたことがある。

ページの先頭へ 戻る

疲労骨折

本誌2003年版掲載。以下、(最後の一文のみ新たに追加)

疲労骨折は、骨のある部分に繰り返し過度の負担(ストレス)が加わって起きる骨折である。通常の骨折のようにその原因が明らかでなく、スポーツの練習やトレーニングの継続によって徐々に起きたりして、原因不明の場合が多い。スポーツ種目では、野球、マラソン、バレーボール、サッカーなどに多く、発生部位は野球では上腕骨、その他の種目では、下腿の脛骨(けいこつ)や腓骨(ひこつ)に現れやすい。疲労骨折は、いわゆる「使い過ぎ症候群」(overuse syndrome)の一種であることから、ただちに練習を中止する安静療法が第一である。春高バレーで栗山は疲労骨折を隠しながら活躍し、三田尻女子高を準優勝に導いた。

ページの先頭へ 戻る

6人制

バレーボールが日本に知られたのは1910年ごろ。まだ当初はルールも確定されておらず、16人制、12人制を経て9人制が普及していった。一方、世界では6人制が普及し、1947年に国際バレーボール連盟により国際ルールで6人制が決定した。日本で6人制が取り入れられたのは、東京五輪から。ルールがわからず、海外のルールブックを取り寄せて研究したという。9人制は現在でも「ママさんバレー」などの形で親しまれている。

ページの先頭へ 戻る

ミノネット

バレーボールは、マサチューセッツ州スプリングフィールドにあるYMCA体育学校でウイリアム・G・モーガンによって「老人にも子供にも楽しめるスポーツ」として1895年に開発され、ミノネットと名づけられた。翌1896年には「ボールを打ち合う」ことから、テニスのボレー(volley:ボールが着地する前に打つこと)という言葉を使い、volleyballと呼ばれるようになった。

ページの先頭へ 戻る

ラリーポイント制

1999年から導入されたゲーム方式で、サーブ権に関係なく、ポイントが入る。第1から第4セットは25ポイント制。第5セットは15点制。それまでは、サーブ権を持ったチームがラリーに勝った場合にのみ、ポイントが得られるサイドアウト制が採用されていた。

ページの先頭へ 戻る

Vリーグ

1967(昭和42)年にスタートした日本リーグ(全日本バレーボール選抜男女リーグ)を発展的解消し、Jリーグブームに便乗して、94年に発足された。しかし、Jリーグとは異なり、プロリーグではない。2003年4月にVリーグ機構が発足され、プロ化を前提に法人化を目指している。

ページの先頭へ 戻る

吉原知子

大山加奈・栗原恵の19歳コンビとはひと回り以上年上のアテネ五輪チームキャプテン。妹背牛高から88年に日立入り。94年に退社し、イタリアに渡る。帰国後、ダイエー、東洋紡を経て、02年パイオニアへ。日本で所属した4チーム全てを優勝に導き、7度のリーグ優勝を経験。全日本では、92年バルセロナ、96年アトランタ、04年アテネに出場。

ページの先頭へ 戻る

立体バレー

3Dバレーともいう。柳本監督が提唱する全日本女子バレーのスタイル。センター線の移動攻撃にライトからのバックアタックを絡めるなど、立体的で多彩な攻めを目標とする。

ページの先頭へ 戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS