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結婚事情の今昔を知るための用語集
 

話題になった結婚

合同結婚式

1993年版本誌掲載。以下、

韓国人、文鮮明師によって創始された世界基督教統一神霊協会(略称、統一教会、また原理研究会、原理運動などの名でも知られる)では、サタンの血によって汚れた人間が、清らかな生活に復帰するために、特別な結婚のプロセスと儀式を経ることがもっとも重要と見なされている。すなわち、文鮮明教祖が信徒の結婚相手を指名し、「祝福」とよばれる合同結婚式やその前後の秘儀的な儀礼によって結ばれるというものである。合同結婚式まで結婚相手を知らない場合もあり、信徒が多い3つの国、すなわち日米韓の国籍を超えた国際結婚も多い。結婚式では「蕩減棒」で相手を強く叩く行事があり、その後の最初の性交の仕方も「3日儀式」として定められている。早い頃では、1969年に43組、70年に777組が、最近では88年に6516組、89年に1275組が合同結婚式で結ばれた。91年に3万組の合同結婚式が予定されていたが、92(平成4)年8月25日に延期された。日本からは山崎浩子、桜田淳子らが参加して話題になった。

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皇太子の結婚

1994年版本誌掲載。以下、

1993(平成5)年1月6日、ワシントン・ポスト紙のスッパ抜きで皇太子浩宮徳仁(当時33歳)の婚約を報道。国内紙が追随した。お相手はハーバード大卒、東京大学法学部在学中に外交官試験に合格した現役の外交官で、外務省北米2課勤務、小和田雅子さん(29歳)。「キャリアウーマンと皇室の結婚」と話題になった。1月19日に婚約発表記者会見、4月12日に民間の結納にあたる納采の儀、6月9日に結婚の儀が執り行われた。

今回は美智子皇后に引き続く民間出身、勤務経験あり、英独仏3カ国語を話す国際派、超高学歴、晩婚、皇太子より3センチ身長が高いなど異例づくめ。「逆3高」などともいわれた。雅子さんの祖父が水俣病の加害責任を問われているチッソの社長をしていたことから、いったん立ち消えになった話が、皇太子の熱意で再燃、「7年越しの恋」と取り沙汰された。

平成時代をサバイバルする皇室のシンボル価値に「民主化」「国際化」「女の時代」などをとりこんだ皇太子の選択を評価する声がある一方、究極の家父長制と身分制の根拠としての皇室が新しい女性像をも取り込んで存続することに対する批判もある。結婚の儀の6月9日には、各地で「何がめでたい皇太子の結婚」などをテーマに、皇室批判の女性の集会が開かれた。皇室典範が47(昭和22)年の成立以来変わっておらず、男系相続のみを可とする性差別に対しての問題提起もあった。婚約報道をめぐるマスコミ各社の報道協定、敬語表現などをめぐって、皇室報道の自粛と画一主義に対する批判も大きい。

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ビビビッ婚

1999年版本誌掲載。以下、

歌手松田聖子が、歯科医師と突然の再婚をした理由を記者会見で問われ「ビビビッときました」と答えたことから、その後、あらゆる根拠なき決断に「ビビビッ」が使われた。突然の発表といい、報道制限といい、いかにもマスコミ対策にたけた聖子のやり方は、後に反発も買うが、作家林真理子はこれを「恐るべし」と見抜き、評論家山田美保子は相手でなく自らの意志で婚期を選ぶ「決婚(結婚)」と評した。

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