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渡る世間は壁ばかりの用語集
 

スポーツ界の壁

サッカー界の「壁」

サッカーで「壁」といえば、ディフェンス。鉄壁の守備は壁と称され、恐れられる。元日本代表の井原正巳は屈指の名DFとして、読みの鋭さと的確な判断力で「アジアの壁」と呼ばれた。もうひとつの「アジアの壁」といえば、メキシコ五輪での活躍以降、はばまれ続けた壁。長く日本サッカーはアジアの壁に勝てず、世界の舞台を踏めずにいたが、97年、のちにジョホールバルの歓喜といわれるフランスW杯アジア第3代表決定戦でイランとの戦いに勝ち、W杯出場の切符を手に入れた。再び日本サッカーは世界を相手に戦いを始めるが、アテネ五輪、W杯出場と、世界にたどり着くには、これからも越えなければいけない「アジアの壁」がある。

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プロアマの壁

柳川事件(紳士協定破りによるアマ選手の引き抜き)以来、野球界ではプロとアマの不幸な関係が続いてきた。しかし現在ではその垣根も低くなり、現役プロ野球選手による高校生への指導も条件付きではあるが実現した。また自由契約選手としてプロを退団した選手のアマ復帰も認めらている。休部・廃部の続く社会人野球界においては、野村克也のシダックス監督就任のように有名監督の社会人入りで社会人野球全体の活性化への期待もかけられている。

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4割の壁

日本プロ野球史上、年間打率で4割を超えた選手はまだいない。シーズン最高打率のプロ野球記録は阪神タイガースのランディ・バース選手が1986年にマークした.389。7年連続首位打者を獲得し、メジャーリーグでも3年連続200安打を達成しているイチローですら2000年にマークした.387が最高で、4割どころか3割9分打者すら存在しない。海の向こうのメジャーリーグでは多数の4割打者が存在するが、それとて1941年のテッド・ウィリアムスが最後で、戦後の現代野球の中では4割は夢の数字となっている。

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日本一の壁

合併問題に揺れる近鉄バッファローズは、12球団で唯一日本一の経験がなく、2001年に4度目の日本シリーズ出場を果たすも悲願の日本一を手にすることはできていない。04年シーズンは悲願達成の最後のチャンスとなるか。

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白河の関

高校野球の象徴「深紅の大優勝旗(夏の選手権)」「紫紺の大優勝旗(春のセンバツ)」はともに高校野球史上、北海道・東北の高校が手にしたことはなく、白河を超えたことがないということから、白河の関というのが優勝地区の境目であり、優勝を狙う東北・北海道の高校球児、そして高校野球ファンにとって白河越えは悲願である。2003年夏の甲子園大会では、東北高校によって片足が越えかかり、初の白河越えに期待のかかったものの、準優勝に終わり、やはり白河の関を越すことはできなかった。

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100の壁

アマチュアゴルファーがぶつかる最初の壁はスコア100の壁といわれる。初心者のスコアは大抵100〜140くらいにおさまることが多い。ちょっと練習をすると100あたりにスコアをまとめるのはそう難しくは無いが、この壁を越えて2ケタ台のスコアを出すまでが一苦労。

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オープンと重賞の壁

競馬のレースは、まず2歳から3歳にかけて新馬戦あるいは未出走戦と呼ばれるデビュー戦に出走し、そこで勝つと条件戦といわれる500万円以下、900万円以下、1600万円以下の3種類に分かれたレースに、勝つごとに昇格して出走できる仕組みになっている。自分のクラスより下には出られないが、上のクラスのレースには出走できる。条件戦を卒業した馬同士のレースをオープン戦といい、オープン特別と、重賞競争(格の高い順にG1、G2、G3)に分かれている。重賞とは最も重要視されているレースで、賞金も高く、五大クラシックレース、天皇賞、有馬記念をはじめグレード競走と言われるレースは全て重賞競走である。重賞は競走馬にとっての勲章であり、そこで勝った馬は歴史の記録に刻まれる。しかし、オープン特別で勝てるのに重賞でなぜか勝てないという重賞の壁が存在し、その壁に阻まれて散っていく競走馬は多い。

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