月刊基礎知識
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ドミノなお話の用語集
 

経済危機の連鎖

アジアの通貨危機

1998年版本誌掲載。以下、

1997年半ばから、タイ・バーツの危機が引き金となってアセアン諸国を中心にアジア通貨に動揺が生じた。タイ経済は95年まで10年にわたり平均9%を超す高成長を続けてきたが、96年は輸出の低迷と内需過熱に対処した金融引き締めで成長率が急減した。加えて、外資に依存した不動産投資の行き過ぎから金融機関が大規模な不良債権を抱えるようになったことから、97年になるとタイ経済の先行き見通しが急激に悪化しバーツへの売り圧力が強まった。7月には、タイ中銀はそれまで10数年続けてきたバスケット・ペッグ方式の為替政策(バーツ相場を主要貿易通貨で構成される通貨バスケットに連動させる方式であるが、ドルのウエイトが高く事実上はドルに連動)を放棄し、管理フロート制にした。それに伴い、バーツの対ドル相場は1カ月の間に23%の大幅下落となった。

こうしたバーツの急落は、フィリピン・ペソ、マレーシア・リンギット、インドネシア・ルピア、シンガポール・ドルなど近隣のアセアン諸国通貨にも売り圧力を呼ぶことになり、通貨混乱が広がった。これに対し、関係諸国は協調介入など国際協力で事態解決に当たってきたが、8月には、東京で、震源となったタイの通貨危機を封じ込めるための大規模な支援国会議が開催され、IMF、日本、アジア域内国から総額160億ドルの資金がタイに供与されることになった。それでも、9月現在、タイ・バーツの相場は回復せず、他のアセアン通貨も散発的に投機に波状攻撃をうけている。

アセアン諸国の経済実体が一様に悪化しているわけではないが、これらの国に共通するのは、輸出依存度が高く、為替相場を事実上ドルに連動させる政策をとってきたことで、一部の国で対ドル相場が大きく動けばまわりの国の対ドル相場にも同様の変化が予想されて投機を受けやすい構造になっている。国内貯蓄不足の解決を外国資本の流入に頼っている点も多かれ少なかれ共通しており、このことからも一国の為替相場や株価の動きがまわりの国に波及しやすい。アジア経済のダイナミズムは健在であると思われるが、タイ経済が正常化するまで、しばらく不安定な地合が続くと予想される。

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不安の連鎖

1999年版本誌掲載。以下、

経済グローバル化のなかで、不安が不安を生む連鎖が、資本主義経済システムの麻痺、世界恐慌を導くという恐れが強まっている。1990年代後半のアメリカ経済の好況は、開放・競争体制の下での技術革新と世界からの資本集中に支えられていたが、それは同時にこの技術と資金を両輪とする多国籍企業の世界市場への展開に牽引されていた。ところが、NIES・東南アジア、ロシアでの経済混乱により、これら新興工業国や移行経済国から資金が引き揚げられると、それは企業の投資見通しに不安感を与えるし、アジア・中東欧、そして中南米へ莫大な債権をもつ欧米経済にも悪影響を与える。こうした不安感から98年8月末にはそれまで上昇を続けてきたニューヨーク株式市場のダウ平均株価は実に1100ドル余り急落(87年ブラックマンデー時の2倍で、1年間の上昇分が霧消)し、それが東京など世界他市場でも株安連鎖を生むことになった。ウォール街に飾られた牡牛(ブル)の銅像に象徴されるように、資本主義経済では強気の投資が投資を生む好況の連鎖があるが、今の世界資本主義の構造問題(南北・地域・貧富格差、アジア型発展モデルの行き詰まり、莫大な投機の横行等)が解決されない限り、牡牛はいつ弱気の熊(ベア)に変身しないとも限らない。そのとき経済システムは麻痺し、恐慌が導かれる。日本の不況も、政官業体制の指導力崩壊、バブル経済の不始末と並んでアジア不況→資金引揚げ→国内投資見通し不安→貸渋り→失業・破産増大→金利資金による米ドル買い→国内需要収縮→消費控え→投機控え、という不安の連鎖によるところが大きい。

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負の連鎖

1999年版本誌掲載。以下、

完全失業率が最悪記録を更新、個人消費が低迷しているところへ雇用不安が追い討ちをかけ景気の足をさらに引っ張るという連鎖反応。「景気は一段と悪化しており、手をこまぬいていると失業率は今後さらに悪化し4%を超えるだろう。心理不安が個人消費に影響し、企業収益に跳ね返る。それがさらなるリストラや倒産を生む」と高木勝富士総研理事。

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テキラーソ(メキシコ通貨危機)  Tequilazo 西

1998年版本誌掲載。以下、

「テキーラ騒動」の意で、1994年12月のペソの対ドル相場の急下降に始まったメキシコの金融危機。サリナス政権下、新自由主義政策の実施による「経済活性化」に誘われて流入した1000億ドルもの外資によりバブル経済が支えられていたが、入超、貿易赤字の累積、外貨準備の急激な減少に加えて、サパティスタ民族解放軍に象徴される社会不安を嫌気して、資本は急速に海外に逃避した。外貨保有高は、94年3月の260億ドルから年末の60億ドルへ激減。セディジョ政権は、新自由主義政策の踏襲によって危機からの脱出をはかったが、果たせず。アメリカは日本・ヨーロッパに呼びかけて500億ドル余の支援を約束し、95年3月末には危機克服の兆しが現れた。

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韓国の金融・通貨危機

1999年版本誌掲載。以下、

1997年1月の韓宝鉄鋼の倒産以来、韓国は真露、起亜、三美などの中堅財閥の連鎖倒産を経験していた。東南アジアの経済危機にも直撃され、同年11月、未曾有の金融・通貨不安からIMF(国際通貨基金)への支援要請に踏み切った。負債総額は1530億ドル(97年末)に達した(韓国では、これをIMF危機とよぶ)。東南アジア、とりわけ香港を拠点に韓国系の総合金融会社(ノンバンク)が活発な短期資金の調達・融資を展開しており、1カ月後に大統領選挙を控えて、有効な金融安定化施策を実施できなかったことなども、危機の拡大に大きく作用した。12月4日に合意された金融支援の内容は、IMF210億ドル、世界銀行100億ドル、アジア開発銀行40億ドル、日本100億ドル、アメリカ50億ドル、欧州各国70億ドルの合計570億ドルに達する史上最大規模のものになった。しかしIMFの支援条件も厳しく、韓国政府は経常赤字削減、成長率抑制、物価抑制、市場金利上昇の容認、金融会社の整理、外国人株式投資枠の拡大、財政均衡などを要求された。その後、98年1月28日、西側銀行団との交渉が妥結し、240億ドルの短期債務が1〜3年の政府保証融資に切り替えられたために、当面、金融・通貨危機を乗り切ることができた。

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アルゼンチン危機の南米への連鎖/「タンゴ効果」  tango effect

2003年版本誌掲載。以下、

アルゼンチン危機は市場では折込み済みだったこともあり、当初その影響はコロンビア、ベネズエラ(2月変動相場制に移行)に限定されたが、7月には健全とみられたウルグアイやブラジルにも及んだ。ウルグアイでは通貨下落にともない預金引出しが相次ぎ、中央銀行が銀行業務の停止を発表すると、市民の抗議デモが暴動略奪に発展。さらに10月の選挙を前に労働者党のルラ・ダシルバ候補など左翼勢力の優勢が伝えられたブラジルでも市場に動揺がはしり、通貨レアルの下落が加速、金融不安が表面化した。支援に消極的だったアメリカ政府は、8月初めオニール財務長官のブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン訪問を機に、ウルグアイへの緊急融資(1億5000万ドル)を決定、ブラジルにはIMFが300億ドルの融資枠の追加支援に合意した。国際支援で南米への連鎖は当面さけられる形となったが、深刻なアルゼンチン情勢の行方やブラジルの選挙を控え、連鎖の火種は残ったままだ。

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