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“ハングリー精神のキーパーソンから学ぼう”の用語集
 

徳山昌守と最近の在日韓国・朝鮮人

在日

日本にいること。転じて、日本で生活する外国人のこと。ことに在日韓国・朝鮮人を指すことが多い。ボクサー徳山昌守は本名・洪昌守(ホン・チャンス)で、1974年、東京都大田区生まれの在日朝鮮人3世。試合では着用するトランクスに「KOREA ONE」の文字をつけ、日朝両国旗のほか「コリアは一つ」の願いを込めて、国境のない朝鮮半島をあしらった「統一旗」を掲げる。

第2次大戦終結まで、日本の植民地であった背景から、在日外国人(登録者)全体に占める在日韓国・朝鮮人の割合は、1970年代まで90%以上、80年代に入っても80%以上であったが、2001年の調査では35.6%。これは、中国人(21.4%)、ブラジル人(15.0%)、フィリピン人(8.8)の入国が急増しているのに加え、韓国・朝鮮人は、新規の入国がなく微減傾向にあるためである(91年からは毎年減少)。

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東京朝鮮中高級学校

東京都北区。徳山の母校。徳山は小1から中3まで父の道場で空手を習っており、ここでも空手部に入るつもりだった。しかし、空手部の部室の手前がボクシング部だったため、ふと覗いて魅了され、入部。卒業後、父を手伝って産廃処理業をしていたが、ボクシングで生きていこうと決意し、あえて東京をはなれて大阪に向かった。

朝鮮学校は、東京都小平市の朝鮮大学校を筆頭に、全国に高級部12、中級部42、初級部65がある。学校がないのは、青森、秋田、岩手、山形、山梨、富山、石川、鳥取、島根、徳島、香川、高知、大分、佐賀、熊本、長崎、宮崎、鹿児島、沖縄の19県。大・高・中・初とはいうものの、日本の学校制度でいう大学・高校・中学・小学校(いわゆる1条校)ではない。学校教育法では、「各種学校」の位置づけであり、そのことによって公的助成も含めた処遇の点で「学校」とは大きな格差がある。昨今、スポーツ大会の公式戦出場、大学進学資格など、個別には、差が取り払われる傾向にある。

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チャンピオン

champion 徳山は、1999年9月、東洋太平洋スーパーフライ級王者となり、2000年8月には、南北対決といわれた世界タイトル初挑戦で韓国の゙仁柱を破り、WBCスーパーフライ級王者となった。これまで6回の防衛に成功している。チャンピオンとなっても家賃5万の木造アパートに住み、ジムへは原付か自転車で通っていた。現在は結婚して新婚用のマンションに移った。

プロボクシングの世界タイトルには、WBA(世界ボクシング協会)、WBC(世界ボクシング評議会)、WBO(世界ボクシング機構)、IBF(国際ボクシング連盟)の4種類があるが、JBC(日本ボクシングコミッション)が認定しているのは、このうちWBAとWBCのみ。

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婚約者

徳山は2002年12月25日、5年越しの交際を実らせて、婚約者・崔仁淑と大阪市生野区役所に婚姻届を提出、正式に結婚した。徳山と崔の仲のよさは有名で、これまでも試合前には食事面の世話などで支えられていた。徳山は「いつの日か世界ベルトは獲られてしまう日がくるでしょうが、仁淑だけは一生守ってゆく」と発言。

日本のプロスポーツ界で、しばしば言われるジンクスは「2年目」と「新婚」であるが、徳山は「彼女のためにも結婚して弱くなったと言われないように頑張る」と決意を語っている。

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MVP

2002年12月、徳山は、日本ボクシングコミッションと東西の運動記者クラブによって年間の最優秀選手賞(MVP)に2年連続で選ばれた。2年連続は1982年から85年まで4年連続で受賞した渡辺二郎(大阪帝拳)以来で、また満票での受賞は86年の浜田剛史(帝拳)以来。平成に入ってからは、前年MVPが翌年必ずベルトを手放すジンクスが続いていたが、徳山は年頭に「2年連続MVP受賞」を公約していた。

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労働英雄

2001年6月、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の体育指導委員会から招待を受け平壌に赴いた徳山は、労働英雄称号を授与された。金永南・最高人民会議常任委員長が会見、祖国の尊厳や栄誉を世界に示したとたたえた。徳山はその前年にも、北朝鮮でスポーツ人をたたえる「人民体育人」の称号を授与されている。

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焼き肉

タレをつけて肉を焼く料理。またその肉。朝鮮料理の主要メニューの一つであり、徳山は「朝鮮料理、特に焼肉はこの世で一番旨いと思える料理」と言っている。高級な焼肉屋に行く機会も増えたそうだが、安い内臓系の肉の方が好きという。試合前は食事制限があるため、試合後はいつも焼肉屋に直行するとのこと。

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金城一紀

1968〜。作家。埼玉県川口市出身。慶應義塾大学法学部卒業。韓国籍。自らをコリアン・ジャパニーズと称する。1998年、「レヴォリューションNo.3」で小説現代新人賞受賞。2000年、「GO」で直木賞受賞。従来のいわゆる「在日文学」の殻を破ったポップさが評価された。翌年、「GO」は窪塚洋介・柴咲コウ主演で映画化され、ヒット。他の著書に「対話篇」など。

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玄月

1965〜。作家。在日韓国人2世として大阪市に生まれる。同市立南高校卒。大阪東部の下町に住む朝鮮人の老人を主人公にした「蔭の棲みか」で、2000年1月、第122回芥川賞を受賞。最新刊に『悪い噂』(文藝春秋)。東京から大阪に来た徳山とは逆に、その後一時東京に居を移すが、一年半ほどで大阪に戻った。

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大阪市生野区

人口約10万人。徳山が第二の故郷と呼ぶ地域。所属する金沢ジムがあり、独身時代の徳山はアパートからここへ通っていた。同区内の寿橋から、大阪城周辺にかけてが徳山のロードワーク場所。徳山は大阪について「温かくて面白い町。大阪に生まれたかった」と語っている。

生野区桃谷御幸通東商店街には、朝鮮・韓国料理店やキムチ、チョゴリを商う店が立ち並ぶ。東京都新宿の大久保と並ぶ朝鮮人街で、通称コリアタウン。

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