月刊基礎知識
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《闘争》の記録簿--いいかぃ!その幸せは“たたかってきたから”手に入ったんだぞ
 

なぜ、いつから闘わなくなったかの事典

シラケ世代

本誌1976年版収録。以下、

現代の若者を評して「シラケ世代」ということがある。やけっばちのようでいて変にさめている、世の中なんてどうせこんなもの、あがいたとてどうにもなりはしないと冷やかに跳めている、したがってその行動は他人から見るとだらけて見える。こういう若者が現代には多いということでこの言葉が生れた。ただし大人が名づけたのではなく若者たちが「シラけるよ」などと使い始めたからである。昔なら「阿呆らしいよ」と表現したような気乗りしない時にも使う。ところが全てを「シラける、阿呆くさい」と物憂げに突っばねる若者がいわゆる「ナンセンス・クイズ」に熱をあげている。大人から見れば、矛盾だらけである。現代の若者がシラける第一要因は、何よりも世の中が豊かで平穏無事だからだと考えられる。バングラディッシュやインドのように飢えが身に迫ったり、ベトナムのように四六時中戦争という所では若者は「絶望」はしてもシラけないと思われるのである。仕事に受験勉強にシラけ、ナンセンス・クイズに熱中できるのは豊かな平和な世の中だからだろう。

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シラケ選挙

本誌1976年版収録。以下、

政治に興味関心を失った若者の間から出た言葉だが、選挙熱が盛りあがらぬこのごろの選挙ではたいていこの語が使用される。一面からいえば、さめた選挙ということにもなるが、候補者について不満足だが他によい人がいないとか、あるいは選挙をしても出てくる結果はどうせ同じようなものとか、政治不信、無関心が投票率の低いシラケ選挙となって現われる。昭和50(1975)年4月の統一地方選挙でもこの傾向が顕著にあらわれた。

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三無主義

1970年。無気力、無関心、無責任(無感動を加えて四無主義)といわれる当時高校生の性格を指していったことば。

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五無主義

1980年。かつての四無主義、無気力、無責任、無関心、無感動に、あいさつもろくにできない「無作法」が加わって五無となり、主義というのもおこがましいナイナイづくしの五無生徒がふえてきた。この年1月の日教組教研集会からの報告。

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