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“アメリカはたまに戦争に失敗する”の用語集
 

なんとか危機を回避したのは

キューバ危機(Cuba crisis)

1968年版本誌より。

世界を核戦争の瀬戸際まで追い込んだ、戦後最大の事件。1962年10月22日、ケネディ・アメリカ大統領は、テレビ演説を通じて、キューバにおけるソ連製攻撃用ミサイル発射場基地の建設が、アメリカにとっての重大な脅威であるとして、キューバを隔離(quarantine)する旨の重大決意を表明した。ここにいう「隔離」とは、「いかなる国、あるいは湊からであろうとも、キューバ向けの全種類の船舶は、もし攻撃的兵器を積んでいる場合は引き返させる」ことである。この措置は国際法上、「封鎖」を意味し、国際法違反の誹りを免れることはできない。同大統領は、停船命令を拒否すれば、ソ連船といえども撃沈する、という強硬な意志を表明したが、ここに戦後最大の危機とみられる理由がある。演説のあと、この措置を、米州機構を形成するリオ条約上の措置として合法化するため、米州機構の討議を求め、23日朝、ほぼ全会一致でアメリカの海上交通隔離措置を支持、これをうけてその夜、封鎖の発効を命じる封鎖宣言が署名された。1週間、事態は米国、キューバ、ソ連から要請されて開かれた国連の緊急安保理事会でも討議されたが、ウ・タント国連暫定事務総長の斡旋のなかで、ケネディ、フルシチョフ両首脳による4回にわたる書簡の往復において、10月28日、フルシチョフ・ソ連首相がケネディ大統領のキューバへの不侵略を信頼して、攻撃的兵器撤収の回答を寄せ一段落した。米軍は実戦態勢についており、核戦争の危機がひしひしと感じられた息づまる1週間であった。この後、米ソは正面衝突回避への方向に向かった。

しかし、この間のソ連の政策に対して中国は非難を加え、中ソ論争のきっかけをなした。

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