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やってくるはずの危機は本当にきたのかの用語集
著者 白鳥 敬

「××年危機説」の先例---エネルギー問題

1985年危機説(1981年版本誌)

以下、

1973年秋のオイル・ショックから数年経過したところで、当時の混乱や、石油不足の深刻さについて、多くの国の国民は忘れはじめているが、それはエネルギー政策の進展がはかばかしくないという形となって表れている。そこで、各国の国民や政策立案者に、現状のまま推移すると80年代の半ば頃にエネルギー需給ギャップ(不足)が発生する可能性が大きく、政策的な対応を十分に行うべきだとする勧告をアメリカを中心とした主要機関が相次いで行っている。77年はじめに、OECD(経済開発協力機構)が「World Energy Outlook」を出し、エネルギー政策を強化しないと、80年代半ばに石油不足が生じる恐れがあると警告した。同じく77年4月には、アメリカのCIAが、80年代はじめにも、石油が不足し、価格が急上昇するというシナリオ的展望を行った。それは、ソ連が大量(400万バレル/日)の石油輸入国に転落することと原子力の開発が大幅に遅れるために起こるとの見通しであった。カーター大統領が、アメリカ議会に提案した「国家エネルギー計画」は、CIAの国家エネルギー情勢の展望を土台に組み立てられているといわれた。

78年になると、石油供給過剰基調が定着し、80年代にはエネルギー危機は来ないであろうとの見方が強くなった。78年4月に発表されたエクソン社の報告書「World Energy Outlook」では、エネルギーおよび石油需要が大幅に下方修正された。IEAやアメリカのエネルギー省の報告書では、依然として85年頃にエネルギー需給ギャップが発生するとしているが、そのトーンはやや弱くなっていた。79年になるとイラン革命を契機にOPEC原油の供給力が急速に低下し、原油価格が急上昇した。85年危機が6年早くきて、第2次石油危機となったともいわれている。

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1985危機説(1978年版本誌、初出)

初出語であった当時、事の次第が前項のようであることは、もちろんわかっていなかった。以下、

OECD(経済開発協力機構)が、1977年1月に World Energy Outlook (世界エネルギー概観)という報告書の中で、85年までの世界のエネルギー需給を分析し、今後10年間のエネルギー需給の均衡を保つためには、石油消費の節減と、代替エネルギーの開発が必要であると呼びかけたところからいわれだしたもの。これに呼応して、わが国でも通産省の「2000年スタディ」がまとめられ、国際的にも、日米欧合同のWAES報告が出されている。

実際には、OECDが75年に、石油の高値が続けば、OPEC石油への需要は減少すると警告したのに対して、産油国、メジャーが予測を行った結果、85年のOPEC石油の需要は、1日当り4000万バレル程度という結論に落ち着き、OECDの新報告も、その結論を踏襲したものであり、むしろ問題は、85年以降の対策に焦点が移っているのを示唆している。

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