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サッカーW杯にみる世界の人びとからキーワード
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ポーランド人

愛国

ポーランドはアウグスト3世(在位1733〜63)の即位に関してロシア・オーストリアが後ろ盾となったことから外国の干渉が激しくなった。1772年、1793年、1795年の3次にわたり、プロイセン・オーストリア・ロシアの3国、またはうち2国によって分割併合され、ポーランドは世界地図から姿を消す。再びの独立は第一次大戦後。そんな歴史もあってポーランド人は相当な愛国者だ。自国が蹂躙された国にしかわからないであろう。日本でともすると訝られる「愛国」とはかなりニュアンスが異なる。

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コシチューシコ

ポーランドの代表的愛国者。1746-1817年。リトアニアの下級貴族の家に生まれる。ポーランド分割に反対し、侵入してきたロシア軍を破る。第2回分割に際して亡命したが、帰国して国民軍最高司令官に。一時はロシア軍を破ってワルシャワを解放した。しかし、捕らえられてペテルブルグへ。のち、スイスで没した。ポーランドの歴史教育では必ず学ぶ、ポーランド人には知らぬ者がないほどの人物。日本では現在こういう教わり方をする人物はいない。

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ポーランド侵攻

1918年、ブレストリトフスク条約によってようやく独立を承認されたポーランドだが、1939年、ナチス・ドイツが西部国境から侵攻、ポーランドは占領され、第2次世界大戦が勃発した。1945年までの占領期間中、ユダヤ系住民を含む600万人以上のポーランド人が殺されたという。かつてのポーランド分割につづくこの侵略。現在、経済的交流が深いドイツ-ポーランド両国だが、ポーランド人のなかにはなかなかおさまらない感情があるの仕方のないことかもしれない。ポーランド語でゴキブリとプロイセン人は同じ綴りである。

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アウシュビッツ

ポーランド南部のオシフィエンチム。アウシュビッツはナチスドイツによって名付けられた地名。1940年、ナチスに反抗するポーランド人の虐殺を目的とする収容所がこの地に建設。一、二年のうちにユダヤ人の一大殺戮施設になった。1945年、ドイツ敗戦により解放。現在、収容所跡は博物館となっている。

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