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話題の人物を解剖する常識・基礎知識事典
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田中眞紀子を読む用語集

田中角栄

1918-93年。元内閣総理大臣 (72年〜74年) 。眞紀子の父親。46年衆院選に勝って政界入り、郵政相、自由民主党政務調査会長、蔵相、党幹事長などに相次いで就任。その間、日米繊維交渉妥結などの実績をあげる。佐藤内閣末期には、福田赳夫と並んでポスト佐藤の最有力候補に。72年内閣総理大臣。高等小学校卒の総理の誕生に「庶民宰相」「今太閤」などと人気を集めたが、強引な政治手法や金銭感覚を危ぶむ声もあった。76年ロッキード事件が発覚。受託収賄罪などで起訴。85年脳梗塞で倒れて入院。89年に政界を引退し、93年に死去。

◇関連『現代用語91-00』
[★田中金脈問題〔政治・経済 1974『20世紀事典』〕]
[★ロッキード事件〔政治・経済 1976『20世紀事典』〕]
[★よっしゃ、よっしゃ〔政治・経済 1977『20世紀事典』〕]
[★直角内閣〔政治・経済 1980『20世紀事典』〕]
[★反角〔政治・経済 1982『20世紀事典』〕]

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越山会 (えつざんかい)

角栄の支援組織。最盛期には300を越える支部、9万5000人の会員数を誇り、角栄選出の旧新潟3区では「越山会員であらずば人であらず」といわれたほど。89年角栄の政界引退に伴い解散。眞紀子の新潟5区出馬にあたっても旧会員は支持・不支持にわかれた。2世議員ではあるが直接には地盤 (後援会) を引き継いでいないといえよう。

◇関連『現代用語91-00』
[★西山町公金流用事件〔1991年版 この一年の事件〕]

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ファミリー企業

角栄の蔵相在任中 (1964-65年) 、彼のファミリー企業の一つである室町産業が長岡市の信濃川河川敷約70haを約4億1000万円で買収したが、直後に堤防やバイパス建設などの工事が始まり、時価数百億円の一等地に変わった。これが田中金脈の原点。そのほかファミリー企業といわれるのは、中核とされる長鉄工業 (真紀子が相続税として同社の株式を物納したことなどで有名) 、越後交通、東新開発、浦浜開発、千秋が原工業、ハルシヨン、ファミリードーム長岡等々。株式移転が脱税疑惑をよんだ。

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鈴木宗男

衆院議員、比例区北海道選出。未だ真紀子外相が失言等で支持率を下げていなかった当時、2001年6月の外務委員会で、真紀子は鈴木と「外務省人事に鈴木が介入した云々」で激しく論争、TV国会中継の視聴率を押し上げるまでに到った。宗男には、真紀子をイジメるなと広く国民から抗議が殺到、当の自民党県連からも山崎幹事長に抗議。「何でそんなにこだわってらっしゃるのか」真紀子は言ったが、それは対外的には北方領土問題に対する四島一括返還論者〈真〉と二島先行返還論者〈宗〉の争いだが、現実は、小泉内閣vs.橋本派 (〈宗〉は橋本派の中堅リーダーで野中元幹事長の腹心) と、外交族議員〈宗〉のロシア利権の問題であろう。

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伏魔殿

「悪魔の住む城」「美名に隠れて悪事や謀りごとが絶えず企まれているような場所」の意、眞紀子が、機密費横領事件等で外相に非協力的な外務官僚の態度をとらえてこう表現。

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田中直紀

1940年生まれ。故・鈴木直人元衆院議員の3男。65年慶大法学部卒業後、日本鋼管 (株) 入社。83年衆院選を自民党公認として初当選。2001年、農林水産副大臣。眞紀子とは、69年結婚 (故・佐藤元首相夫人の縁談による) 。99年には「日本のナイスカップル大賞」 (講談社主催、4月22日〈良い夫婦の日〉発表) を受賞。

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田中雄一郎

眞紀子の息子。1970年生まれ。慶大経済学部4年在学中に公認会計士試験に合格。高校時代に中国語もマスターしたという俊秀。97年眞紀子の反対を押し切り大学在学中に知り合った女性・千鶴子さんと結婚して以来、親子の縁は断絶状態であったが、99年角栄の七回忌では揃って姿をあらわすなど関係は修復された。2001年「外務省機密費の関係資料を公認会計士の息子に見せた」と外務省幹部に語ったとされたが、眞紀子はこれを「事実無根」と否定した。

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主婦感覚

2001年5月の北京訪問の際、一泊29万円のホテルを高すぎるとキャンセル、ふつうの主婦の金銭感覚をアピールした。しかし故・田中角栄の娘として莫大な遺産を相続した眞紀子の感覚について疑問の声も多い。

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軽井沢

故・角栄の別荘があり、夏休みなどに眞紀子が訪れる土地。別荘は、大正時代 (1920年) につくられた由緒正しき白亜の洋館で、建築史上貴重な建物とされている。ロッキード事件後の77年、当時の大蔵相が抵当権を設定、99年に差し押さえられた。

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中国の恩人

眞紀子は2001年5月の中国訪問の際、最大級の歓迎を受けた。これは、眞紀子の父である角栄が中国との国交正常化に取り組み、1972年日中共同声明に調印した恩人であることによる。中国では「水を飲むとき、井戸を掘った人のことは忘れない」といい一度受けた恩義を忘れてはいけないという儒教の教えがある。眞紀子は親中反米であるともいわれる。

◇関連『現代用語91-00』
[★日中国交正常化 (Japan-China diplomatic normalization) 〔中国問題〕]

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党紀違反

自民党員・真紀子はこれまでに2回、党規律規約「党公認候補者を不利におとしいれる行為」「党の規律をみだす行為」に該当するということで、自民党党紀委員の議題にのぼった。2001年4月の総裁選応援演説で、故・小渕恵三首相に対し「頭がパチッと切れて小渕さんがお陀仏さんになった」との発言について。また同7月に前橋市内で行った参院選の応援演説で「どの人が候補者か知りません」との発言、候補者 (吉田真由美候補、落選) が差し伸べた手を「知らないんだから触らないでよ」と払いのけたことについてである。1度目は処分見送り、2度目は党則に基づき戒告処分 (8段階のうち下から2番目) 。

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角福戦争

小泉内閣における官房長官・福田康夫と眞紀子との確執は、双方の親同士のかつての争い「角福戦争」に擬される。72年、佐藤後継の自民党総裁選は、田中角栄と福田赳夫の一騎打ちになり、結果は金力にまさった田中の勝利。福田は、一度は蔵相として入閣したものの、下野すると田中金脈問題を批判し続けた。

◇関連『現代用語91-00』
[★三角大福〔政治・経済 1972『20世紀事典』〕]

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創政会

1985年故・竹下登、金丸信の両氏が立ち上げた自民党の政策集団。87年経世会となり竹下内閣発足の原動力に。田中派の約80%を吸収するにいたる。創政会結成の動きが出始めたちょうどその頃、角栄は脳梗塞で倒れ、4年後には政治的影響力を完全に失う。眞紀子は竹下を「裏切り者」と断罪し、批判し続けた。

◇関連『現代用語91-00』
[★角抜き〔流行語大賞'85〕]
[★経世会 (Keiseikai‐faction of TAKESHITA) 〔1992年版 政党関係〕]
[★経世会分裂〔1994年版 政党〕]

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早坂茂三

1930年生まれ。早大政治経済学部卒。『東京タイムス』新聞記者を経て田中角栄元首相の秘書となり、「豪腕」ぶりで名をはせた。その後、政治評論家として独立し現在にいたる。85年角栄は脳梗塞で倒れたが、療養方法などをめぐって早坂と眞紀子は激しく対立。眞紀子は早坂に田中家家との絶縁を通告したうえで、田中事務所を解散。角栄を東京・目白台の自宅に連れ帰った。

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女優

真紀子は、早大在学中に入っていたサークル「劇団こだま」でプロの女優をめざしていた。同級生には村野武範、先輩には久米宏などがいた。2年生のときに「焼けたトタン屋根の上の猫」で大隈講堂の舞台に立つ。また在学中に競争率約50倍の試験を受けて劇団「雲」 (現在の劇団「昴」) の研究生になった (角栄には時後報告、激怒) 。

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各国外相会談

東南アジア諸国連合 (ASEAN) 6カ国と10の対話国・1機関の拡大外相会談の略称。2001年7月に行われた同会談後の非公式の夕食会で、カウボーイ姿のアメリカのパウエル国務長官がラブソング「エルソパ」を歌うと、特別ゲストとしてベトナムの民族衣装をきた田中が登場。長官がピストルに撃たれた演技をすると、抱きかかえてキスの真似事を演じて会場を沸かせた。

◇関連『現代用語91-00』
[★ASEAN10〔外交問題〕]

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