袋小路派の政治経済学*[企業買収、会社は誰のもの]
「ウチのカイシャ」、「オレのカイシャ」、普通に言われる言葉です。でも、大抵の場合、「自分が働いている会社」という意味で使われており、「自分が所有している会社」という意味で使われる機会は、ごく限られています。これ、考えてみればおかしいことなんですが、「社員」という言葉の用語法(=誤用法)と並んで、日本の企業文化の表れとして見れば、それはそれで納得が行くというところがあります。ちなみに、法律上は社員というのは株主のことで、一般に言われている「社員」は、正確には従業員となりますが、これ、「俺の<働いている>会社」を「オレのカイシャ」と普通に言える感覚と通底していることがわかりますよね。法律上は、「俺の<所有している>会社」が「オレのカイシャ」なので、この感覚はおかしいんですが、実際には、このような表現・感覚が日本では標準的なものとして受け入れられてきました。それは、実態においてもそのような感覚を下支えする企業文化があったためです。もし、「の」という助詞の所有のニュアンスにこだわるのならば、企業と従業員の関係は、「オレのカイシャ」ではなく、「カイシャのオレ」なはずなんですが、それを「オレのカイシャ」と違和感なく言えてしまう背景には、本当の主である株主が、あまりオレ様面をしてこなかったということ、そして経営陣も、従業員が気分良く仕事ができるように、“会社の主役”としてそれなりに持ち上げてきたということがありました。ところが近年、経営陣による経営の私物化という日本の伝統文化にして悪弊に対するアンチテーゼとして、「株主民主主義」なんて言葉が言われ始めたあたりから、風向きが少しずつ変わってきまして、最近では、「会社は株主の物」という感覚が、急速な広がりを見せています。どっちにしろ、従業員の物になるということはなさそうですが、メディアに煽られている感もあるこの議論、どっちの方に吹かれていこうとしているのでしょう。