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アテネ・オリンピックのキーパーソンからキーワード
 

福原愛  ふくはら・あい

1988年11月1日生まれ。 宮城県出身の卓球選手。

シェークハンド

卓球のラケットのグリップの種類。握手をするように握る。ラケットの両面にラバーがつけられており、フォアは手の平側、バックは手の甲側で打つ。形状としてストレート、フレア、アナトミック、コニックという4つの種類がある。日本ではペンを持つように握る形のペンホルダーが主流だったが、現在は若手選手を中心にシェークハンド愛用者が増えている。福原愛もシェークハンドを使用しており、卓球用品メーカーのバタフライ社からは「福原愛」という名前のシェークハンドラケットが発売されている。

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青森山田高校

青森県青森市にある私立高校。1918(大正7)年裁縫塾として創立され、48(昭和23)年に新制高校化。現在、普通科・情報処理科・自動車科・土木建築デザイン科・調理科の5つの科がある。スポーツに力を入れており、新体操部男子は全国総体優勝8回、野球部は甲子園出場5回。卓球部も男女ともに全国高校総体、国体などで複数の優勝経験を持つ強豪校で、福原愛は2001(平成13)年に系列の青森山田中学に編入。04年に青森山田高校の普通科体育コースに進学した。元WBAチャンピオン畑山隆則も同校OB。

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瀋陽

中国東北部に位置する遼寧省の省都。人口720万人を抱える中国5番目の都市。寒暖の差が激しく、夏は30度を超えたり、冬は零下20度を下回ることもある。炭鉱や鉄鋼など資源が豊富で、重工業で栄えた町。清朝発祥の地で、満州時代は奉天と呼ばれており、満州事変の舞台ともなった。瀋陽故宮など歴史的建造物も多いが、最近は近代化が進み高層ビルも増えている。福原愛は2002(平成14)年ごろから瀋陽を合宿拠点と定め、年末年始や主要大会前には中国人選手と集中練習を行っている。

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親善大使

国と国、地域と地域、人と人を結ぶかけ橋として現地訪問や講演活動などを行い、双方の文化や現状を伝えることによって友好関係を築くことに尽力する人。外務省の役職である全権特命大使とは異なり、親善大使は各種団体がゆかりのある著名人を指名することが多い。有名なものとしてはユニセフ親善大使や国連親善大使などがある。福原愛は2005(平成17)年、合宿拠点としている中国・瀋陽市からの依頼を受け、日中親善大使としての役割を果たすことになった。福原が親善大使になるのは、イタリア・テルニ市に次いで2回目。

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王子サーブ

卓球のサーブの際に球を高く上げ、屈伸運動で体重を上下に移動させながらラケットを縦に振って打つ技。体重移動によって球威が増すと同時に、球に強い回転を与えることができる。福原愛が9歳のとき、父親がこの技に目をつけ、必殺技として習得させた。このサーブをあみだしたのは、大阪府阿倍野区王子町の八百屋店主、作馬六郎氏。作馬氏は卓球選手としての経歴はなく、特別な指導も受けたことはないが、近所の王子卓球センターに通いながら独学で「相手にとられないサーブ」として開発した。

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中国スーパーリーグ

女子卓球リーグの中では世界最高峰と言われるリーグ。12チームがホーム&アウェイの総当りで1シーズンを競う。福原愛はスーパーリーグの下部リーグのチームに所属して参戦していたが、2005年シーズンから、2004年リーグ優勝チームの「北京」に入団、アテネ・オリンピック金メダリストの張怡寧など強豪選手とチームメイトとして参戦することになった。ちなみに、中国ではプロサッカーリーグもスポンサー変更などの事情により、2004年から「スーパーリーグ」と名称変更された。

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小山ちれ

1964年中国生まれ。17歳で中国代表となり、世界選手権優勝経験もある。1988(昭和63)年に現役を引退し、89(平成1)年に来日。91年に現役復帰した。92年に日本に帰化し、全日本卓球選手権大会で女子シングルス8回優勝、アトランタ、シドニー・オリンピックでは日本代表になるなど、長く日本女子卓球界の女王として君臨した。小山は福原愛に関して「彼女は人気先行」「愛ちゃんぐらいの選手は中国には1000人はいる」などと発言し、福原を特別扱いする日本卓球協会やマスコミを痛烈に批判した。

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