月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
アテネで期待の10代のキーパーソンからキーワード
 

寺川綾(てらかわ・あや)

水泳選手。1984年11月12日生まれ。

日本工業学校

1939(昭和14)年に設立。大阪理工科大学附属高等学校への改称を経て49年から近畿大学付属高校に。近大付属(近大付)の略称で水泳の名門校として知られる。男子バタフライの山本貴司(近大職)、同自由形の奥村幸大(近大)も同じ近畿大学付属高校出身。

ページの先頭へ 戻る

ファーストスキンex

世界No.1のスイムウェアブランド、「スピード」。シドニーオリンピックではメダリストの81%がスピードの水着を着用していた。2004年、低抵抗水着「ファーストスキンex」を発表し、そのキャラクターに寺川綾が起用された。北島康介もSPEEDOの契約選手。

ページの先頭へ 戻る

住金物産

絵画取引やゴルフ場開発などの名目でバブル期に3000億円ともいわれる巨額資金が「闇の世界」へ流出したとされ戦後最大の経済事件といわれるイトマン事件。事件後、イトマンを吸収合併したのが中堅商社の住金物産。住友金属系列として鉄鋼を、イトマン合併後は繊維、食品などを事業の中心にした複合専業商社である。サッカーの鹿島アントラーズの株主のひとつでもある。寺川も所属し、千葉すずや山本貴司など日本のトップスイマーを輩出するイトマンスイミングスクールは、もともとイトマン関連企業として出発したが、住金物産への合併の際にグループ企業からは分かれている。

ページの先頭へ 戻る

奥田精一郎

水泳の名門クラブ、イトマン・スイミング・スクール(ISS)の名誉会長。1920(大正9)年生まれ。ロート製薬の当時の社長、山田輝郎に請われ、山田スイミングクラブ専属コーチに。その後ISSに移りミュンヘンオリンピック金メダリストの青木まゆみらを育てる。10代は背泳ぎと水球の選手として活躍し、水球の日本代表になったことも。戦後は実家の造り酒屋を経営するが、夏に暇になる家業のため、請われて水泳のコーチを始めたのが、現在の水泳指導へのきっかけであった。文部大臣スポーツ功労者頭彰、日本水泳連盟特別功労彰。

ページの先頭へ 戻る

ラグビーの町

近大付属高の所在地・東大阪市はラグビーの町としても有名。全国のラガーマン憧れの地花園ラグビー場は1929(昭和4)年、この地に日本最初のラグビー専用グラウンドとして開場した。公立施設ではなくプロ野球球団合併にゆれる近鉄の所有。ちなみに近鉄ラグビー部の名称は鉄道会社らしく「近鉄ライナーズ」。

ページの先頭へ 戻る

自分を超える 自分に出会う

近畿大学のイメージ広告のPRコピー。近大を目指す受験生に目標を持って大学に入学してほしい、大学で伸びてほしいという大学からのメッセージ。寺川は同大のイメージ広告に起用されており、関西主要駅での交通広告などで新校舎をバックに微笑む寺川のポスターが使用された。

ページの先頭へ 戻る

水泳界のあやや

その整った容姿は各方面で高い評価を得ており、母校近大のPRに起用されるだけでなく、芸能界も熱い視線を送っているという。また人気アイドル松浦亜弥の愛称あややになぞらえて、一部では「水泳界のあやや」とも呼ばれている。

ページの先頭へ 戻る

高地トレーニング  high-altitude training

本誌2003年版掲載。以下、

高地では気圧が低く、肺に入る酸素量が低下するため、呼吸数や換気量を増大して、酸素をできるだけ多く体内に吸収しようとする。また、体内に吸収された酸素をできるだけ効率的に運動系の組織に運搬するため、心拍数や血液中の赤血球、ヘモグロビン、ヘマトクリット(赤血球容積)値も増大する。このような呼吸循環系を中心とした高地への適応現象を、高地順化とよぶ。高地順化をトレーニングに応用して有酸素的持久能力の向上に役立てようというのが、高地トレーニングである。

ページの先頭へ 戻る

フラッグスタッフ

アリゾナ州北部の中心都市、フラッグスタッフは高原にあり、また周囲を針葉樹林に囲まれているため夏でも過ごしやすい。古代ネイティブアメリカンの居住跡等の遺跡が多数残されているウパッキ国立モニュメント、5万年前の隕石の衝突跡といった観光スポットも多い。2003年にバルセロナで行われた世界選手権に備えて、寺川が自身初めての高地トレーニングに臨んだのはこのフラッグスタッフの地であった。

ページの先頭へ 戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS