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世代交代のキーパーソンからキーワード
 

福島瑞穂

11月の衆院総選挙での惨敗を受けて、社民党のマドンナ・土井たか子が党首の座を下りた。その後任に就いたのが、土井の秘蔵っ子と言われていた福島瑞穂。その就任には党内でも非難の声もあったが…。社民党が再び政界のメインストリームに乗れる日は来るのだろうか。

社会民主党

通称社民党。1945年結成の日本社会党が前身。1993年には細川政権に参加、土井たか子が参院議長に就任。94年6月には村山富市を首班とする自社さ連立政権が誕生。96年1月、村山首相退陣を受けて、あらたに社会民主党と党名を変更。しかし、大半の議員が民主党に合流、土井を看板に据えることで打開をはかろうとした。98年6月には連立を解消。2000年総選挙前には村山も引退し、2002年の辻本清美秘書給与疑惑など逆風に見舞われている。2003年11月の総選挙では衆議院の議席を12減らし、6議席となった。

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弁護士

訴訟に関する行為や法律事務をおこなう職業。福島(1955年生)は高校卒業までを宮崎で過ごし、1974年に東京大学法学部入学。80年に卒業し、87年に弁護士登録。第二東京弁護士会に所属し、夫婦別姓、外国人差別、DV(ドメスティック・バイオレンス)、セクシュアル・ハラスメントなどの問題に取り組んだ。1998年7月、社民党比例区より出馬し、参議院議員に初当選。

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辻元清美

1960年生。奈良生まれの大阪育ち。早稲田大学教育学部在学中に、民間国際交流団体「ピースボート」を設立。93年、エイボン女性大賞教育賞を受賞。96年、土井たか子党首(当時)の要請で立候補し、当選。社民党政策審議会副会長、幹事長代理、広報委員長を経て、政策審議会長をつとめていたが、2002年春、秘書給与流用疑惑の責任をとって議員辞職。03年7月には逮捕されたが、逮捕の必要性には疑問の声も多い。

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土井たか子

社民党前党首。1928年生まれ。同志社大学大学院修了後、同大学で憲法学の講師を務める。1969年12月の総選挙に初出馬、当選。86年9月に日本社会党中央執行委員長に就任。91年7月には委員長辞任。93年8月から96年10月まで、憲政史上初の女性衆議院議長を務める。その後、返り咲きで社民党党首に就任。2003年11月の総選挙では小選挙区で落選、比例区で復活当選したものの、社民党惨敗の責任をとって党首を辞任、後任として福島が選出された。

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宮崎駿

映画監督。1941年生。東京出身。学習院大学卒業後、東映動画に入社。退社後、「アルプスの少女ハイジ」「未来少年コナン」などを手がけ、79年、「ルパン三世 カリオストロの城」で劇場長編アニメの初監督。「風の谷のナウシカ」(84)で評価を確立し、「千と千尋の神隠し」(01)は興行収入300億を越え、歴代1位。同作はベルリン映画祭で金熊賞を受賞した。04年には新作「ハウルの動く城」が公開される。福島瑞穂は宮崎アニメのファンを公言しており、プロフィールなどにもしばしば記される。

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夫婦別姓

夫婦どちらも自分の姓を変えず、別個の姓を持つこと。福島が長年取り組んでいるテーマの一つ。福島は20代を過ぎて、結婚が現実的な問題となった頃に、姓を変えることは「しっくりこない」と感じはじめたという。夫婦別姓を選択(強制ではない)できるよう民法を改正するのが福島の念願で、ゆえに、パートナーとも結婚届を出さないまま娘をもうけている。

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第三極

主要で、大きな力を持つグループの次に位置する勢力。第三勢力。自民党・民主党の「二大政党制」に対して社民党を位置づけた表現としても用いられる。福島も2003年11月、党首就任会見で、「正直、不安でいっぱい」としながらも、第三極としての社民党の意義を強調、「理論面の強化」と「行動する社民党」を今後の課題として掲げた。

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土井チルドレン

土井たか子の要請をうけて政界入りし、そのカリスマ性にひかれて土井に続こうとする政治家たちの総称。福島や辻元清美がその代表格で、福島は「大好きな、尊敬する土井さん」が決まり文句。党首就任会見でも、「社民党だけの宝ではない」と、あらためて土井を賞賛した。一方で、このことばはなかなか土井につづく人材を育てられていない党の体質を批判するときにも用いられており、脱・チルドレンが今後の課題との声も。

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護憲

日本国憲法を守り、改変を認めない立場、信条。とくに、非武装をうたった憲法第九条について問題となることが多い。土井たか子はもともと憲法学者であり、社民党も「護憲」を旗印の一つに掲げている。2003年の総選挙でも、土井は街頭演説のほとんどを護憲の訴えにあてたが、小選挙区では無念の落選となった。

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やるっきゃない

本誌1988年版

土井たか子さんが社会党の委員長に就任させられたとき、「もう、こうなったら」とこぶしを握って宣言した言葉である。それが、あれよあれよというまに一人歩きを始める。1986年の年末には”流行語”として選ばれ、ちょっと言葉の中に、チャメっけ、いさましさ、ある種の開き直り、少し押しつけがましくもある庶民性、いまどき珍しい根性…などなど、いろんな要素が入りまじって、それがいろんな場面に対応できる柔軟さを持たせている。けれど、そこに必然的にからんでくる”女性の発言”という根っこが、女性ががんばれる時代、また、がんばらなきゃいけない時代の状況を、良くも悪くもうつしとっている。

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