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日本人は「3」が大好き!新しい「3」の名数総覧
 

「3」のスローガン

生産性3原則

本誌1958年版収録。以下、

産業の生産を高めようという目的で出発した日本生産性本部は、経営者と労組それに学識経験者を加えて構成するというたてまえをとっている。ところが労組側から参加したのは総同盟などの右派だけで、肝心の労組の約半分を組織している総評は「生産性向上というのは結局企業を合理化したり機械化したりして能率をあげることであり、その結果は労働強化やクビ切りが行なわれることである」としてこれに批判的であった。そこで生産性本部ではこの疑いを解くため生産性3原則を決めた。それは<1>生産向上は究極において雇用を増し、極力失業を防止する、<2>生産性向上の具体的方法は労使協力して研究協議する、<3>生産性向上の成果は経営・労働・消費の3者に公正に分配される、というのである。

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3S運動

本誌1964収録。以下、

生産性向上運動の重要な一環で、経営・職場・労働の専門化(specialization)、製品・部品の規格と種類についての標準化(standardization)と、製品・作業方法の単純化(simplification)を進めようとするもの。各業界とも製品の規格を整理して標準化を進めれば、自然、生産工程は単純化されるわけであり、企業が専門化すれば、製造品目は減少し、同種製品の数量を増大し、大量生産が可能となってコストは低下する。度量衡制度の確立や日本標準規格の制定は、この運動に大きな貢献をしている。

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3ト追放

本誌1964年版収録。以下、

進学戦争が激化している折から、先生が父兄から受けるプレゼント、学校出入リの業者からのリベート、そして先生みずからのアルバイト、という3つの“ト”を追放しようというもの。入試突破のためには「なにがなんでも」という親たちと、金儲けに一生懸命な教師たちとの暗黙の合意が生んだ現代の悪弊。

以後の教育不在が原因、いや、教師の倫理観の喪失だと議論も多い。

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3色運動

本誌1972年版収録。以下、

国民保健推進のため食生活改善の提唱を「栄養3色」によって説く食品分類の1方法である。各食事ごとに偏らないよう3方面の調和的摂取をすすめる。<1>黄色−エネルギーのため−穀類、いも類、砂糖類、油脂、堅果類、<2>赤色−体成分のため−豆類、魚介類、肉(獣鳥肉)類、卵類、乳類、<3>緑色(青とする人もある)−生理機能調節−緑黄野菜、その他の野菜、果物、海草の3群別。なお、食品分類としては、この他に7つの食品群、6つの食品群、4つの食品群等それぞれ栄養的特徴を示す主張がある。

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3ない運動(エログロ)

本誌1955年版収録。以下、

東京赤坂の主婦たちが、昭和29(1954)年夏、エログロ雑誌追放に乗り出した際にかかげたスローガン、すなわち「見ない、買わない、読まない」の3つを合わせて「3ない運動」。一種の不買運動だが言論に対する行きすぎとの批判もあった。

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3ない運動(政治)

本誌1990年版収録。以下、

自治省と財団法人「明るい選挙推進協会」は、「贈らない」「求めない」「受けとらない」の“3ない”運動を、金のかかりすぎる政治(選挙)がリクルート事件をきっかけに国民の批判を受けたために、「金のかからない選挙の実現を目指して寄付行為の周知徹底をはかる」ことを掲げ全国運動を展開。3ない運動はそのキーワード。またこれに関連して東京都渋谷区のの神南宇田川町の役員会で選挙を前にした政治家からの寄付、祝儀や香典を辞退する決議をしたことが発端となり、全国各地の有権者から「金権土壌追放」などの決議なども行われた。

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3ない運動(バイク)

本誌1991年版収録。以下、

バイクを買わない、乗らない、免許を取らない運動。1980年代の初めに、高校生のバイク事故が多発したことから教育庁、高等学校長協会、父母の会が中心になって県ごとにこの運動を展開してきた。しかし、16歳になれば法的には原付および2輪車免許をとることができ、バイクにあこがれを抱く年代でもあることから隠れて免許を取得し、バイクや車に乗って回るよりは、交通安全教育をきちんと指導することで対応すべきだという意見もあって、カリキュラムの中にまでバイクの運転技術と交通安全教育を取り入れる高校もできてきた。将来、交通社会に適応できなくても困るし、事故が起きてからでは遅いなど3ない運動の見直し時期にきていることは間違いないが、まだこれから論議を呼びそうである。

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3悪追放

1957年のことば。

昭和32年5月3日、岸信介首相は、伊勢神官参拝後の記者会見で、「汚職、貧乏、暴力の3悪を追放したい。訪米後に、そのための新政策を発表する」と語ったが、同首相の在任中、ついにこの公約は実を上げず、空念仏で終わった。

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3つの運動

本誌1969年版収録。以下、

戦時下の北ベトナムの家庭や職場でくりびろげられている運動には、<1>若ものの間で“3つの準備運動”(いつでも戦える準備、いつでも軍隊に入れる準備、いつでもどこへでも祖国が必要とする任務を引受ける準備)、<2>婦人の間で“3つを受け持つ運動”(夫や息子の代わりに生産を受け持つ、戦闘の任務を受け持つ、家庭生活を確保し子どもの教育を受け持つ)、<3>若い婦人の間で“3つを遅くする運動”(恋愛と結婚と出産を遅くする)などがある。運動ではないが、ベトナム人民軍への入隊3つの禁則もある。これは、<1>1人息子は入隊させない、<2>農村では長男は入隊させない、<3>工場では能力、熟練ある指導者は入隊させない、というもの。

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